「きかせて? 一瞬だった?」
そう尋ねられた瞬間、あの日のことを鮮明に思い出した。
白くかすんでいく意識の中で、「ああ、自分は死ぬのだ」と思った。その、なんと呆気ないことか。母が私の名前を叫んでいる。唇が真っ白になってしまったと悲鳴をあげている。そうなのか、今、私の唇は真っ白なのか。でもごめんね、もう目を開けることができない。本当に全く力が入らなくて、まるで強烈な睡魔に襲われたときのような──。
18歳のころ、交通事故に遭って死にかけた。
なんとか生還したものの、今も後遺症には度々悩まされている。
クリスチャン・ボルタンスキーの展覧会へ行った。
会場はいくつかの部屋に分かれて趣の異なる作品が展開されており、そのうちのひとつの部屋で、外套をまとった人型のオブジェから突然質問を投げかけられたのだ。
人型のオブジェは何体も立っており、他のオブジェのセリフを聞いて回るうちに、「ああ、これは死者への質問なのだな」と分かった。
その中で印象的だったのが、上記の「きかせて? 一瞬だった?」と、「お母さんを残してきたの?」、そして「教えて? 光は見えた?」だった。
そこで、あの日のことを思い出したのだ。
一瞬ではなかったなあ。でも、怖くはなかった。ただ人生というものは、突然、しかも呆気なく終わってしまうのだということにひどく拍子抜けした。
もしあのまま死んでいたら、母を残すことになっただろう。頭を強く打ち、血の気が引いていく私の顔や唇の色を見て、まるで紙のように白くなってしまったと悲鳴をあげていた母。意識が遠のいていく頭で、辛うじて「怖い思いをさせてごめんね」と謝った。光は見えなかった。……というか、眠りにつく感覚と本当にそっくりだった。眠すぎて眠すぎてたまらないときと同様、だんだんと意識を保つのが困難になるのだ。眠りを〈ちいさな死〉と呼ぶのは、言い得て妙だと後になって感心した。
そんなことを、《ぼた山》という作品の前でぼんやり思った。
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