雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

2019年に観た展覧会ベスト10

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 2019年は本当に忙しく、激動とか多忙とかそういう忙しさではなくて、もう「心を亡くす」系の忙しさでした。仕事というか、環境が辛かった。プライベートの記憶が2018年とごっちゃになっている。
 ──で、去年はどういう出だしでベスト10のエントリを書いたっけと振り返ったところ

今年はもう本当にいろいろあって忙しくて、なんか2018年と2017年の記憶がごっちゃになってしまって「2018年の展覧会ってなんだっけ……?」という……。

 と書いており、同じじゃねーか! と声に出してツッコミを入れてしまった。来年はポジティブな出だしにするぞ! そのためには環境を変えないとね……。

nijihajimete.hatenablog.com

 そんなわけで、2019年。
 業界は同じでも業種が変わったので、内覧等に行く機会はめっきり減りましたが、その分時間に縛られず、仕事を抜きにしてじっくり鑑賞することができました。
 正直忙しくて記憶が吹っ飛んでいる月があるため、ベスト10という形をとるか迷いましたが、印象に残っている展覧会は追って備忘録メモを付けていこうと思います。

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日帰りで尾瀬に行った話

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 10月の上旬、尾瀬に行った。

 天気に恵まれたということが一番大きいが、あまりにも素晴らしい時間だったので、日記に残しておこうと思う。

 今年は夏休みに仕事が入ってしまい、どこへも行かずに終わってしまった。
 とは言え、日々「外に出たら蒸発するんじゃないか」というくらい暑かったし、どうせお盆は迎え火や送り火を焚いたりしなければならないので、元より出かける予定も立てていなかった。

 それでもやはり、「夏休みにはちょっとした旅に出る」という刷り込みのようなものがあるので何処かへ行きたい。
 ただし時間がないしお金も厳しいので、手軽に、そこそこ楽しめて、一泊とかそれくらいで行けるところで非日常的なところが良いな……などと都合の良いことを思っていた。そして思っていたまま台風が来たり消費税率改訂のために休みが取れなかったりで、季節はついに秋へと突入してしまった。

 

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「クリスチャン・ボルタンスキー ーLifetime」にて、かつてのことを鮮明に思い出した

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「きかせて? 一瞬だった?」

そう尋ねられた瞬間、あの日のことを鮮明に思い出した。
白くかすんでいく意識の中で、「ああ、自分は死ぬのだ」と思った。その、なんと呆気ないことか。母が私の名前を叫んでいる。唇が真っ白になってしまったと悲鳴をあげている。そうなのか、今、私の唇は真っ白なのか。でもごめんね、もう目を開けることができない。本当に全く力が入らなくて、まるで強烈な睡魔に襲われたときのような──。

18歳のころ、交通事故に遭って死にかけた。
なんとか生還したものの、今も後遺症には度々悩まされている。

クリスチャン・ボルタンスキーの展覧会へ行った。
会場はいくつかの部屋に分かれて趣の異なる作品が展開されており、そのうちのひとつの部屋で、外套をまとった人型のオブジェから突然質問を投げかけられたのだ。

人型のオブジェは何体も立っており、他のオブジェのセリフを聞いて回るうちに、「ああ、これは死者への質問なのだな」と分かった。
その中で印象的だったのが、上記の「きかせて? 一瞬だった?」と、「お母さんを残してきたの?」、そして「教えて? 光は見えた?」だった。

 そこで、あの日のことを思い出したのだ。

一瞬ではなかったなあ。でも、怖くはなかった。ただ人生というものは、突然、しかも呆気なく終わってしまうのだということにひどく拍子抜けした。
もしあのまま死んでいたら、母を残すことになっただろう。頭を強く打ち、血の気が引いていく私の顔や唇の色を見て、まるで紙のように白くなってしまったと悲鳴をあげていた母。意識が遠のいていく頭で、辛うじて「怖い思いをさせてごめんね」と謝った。光は見えなかった。……というか、眠りにつく感覚と本当にそっくりだった。眠すぎて眠すぎてたまらないときと同様、だんだんと意識を保つのが困難になるのだ。眠りを〈ちいさな死〉と呼ぶのは、言い得て妙だと後になって感心した。

 そんなことを、《ぼた山》という作品の前でぼんやり思った。

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100年たっても、新しい。マリアノ・フォルチュニ展でおおいに腰を抜かした話

「マリアノ・フォルチュニって誰?」

三菱一号館美術館の年間スケジュールが発表されたとき、そう思った。

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メインビジュアルを見るかぎりファッションの人のようだが、残念ながら存じ上げず……。というのも私自身ファッションにとても疎く、同年代の友人に比べてブランドなどもほとんど知らない。
服は暑さ寒さを凌げるかが一番大事で、次に自分に見合った値段。さらに最近だらしなくなってきた体型をカバーできればそれで充分だと思っている(ついでに皺がつきにくければ尚良し)。

それでも「マリアノ・フォルチュニ」展が気になったのは、過去に三菱一号館美術館で開催されたファッション系の展覧会で大興奮した経験があるからだ。

ハイブランドオートクチュールが並んでいたからではない。
眩いばかりの宝石が光り輝いていたからではない。

「この人やばすぎるな⁉」という逸話が、そして技術が、ぐうの音も出ないほど完璧な作品と共に繰り広げられていたからである。 

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門外不出を連れ出す方法 「フリーア美術館の北斎展」で北斎の手癖を見た

昨年、大塚国際美術館に行ってから、自分の中で「複製」という言葉のイメージが大きく変わった。

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それまでは「本物」こそが「本物」であり、「複製」は総じて「偽物」という印象を抱いていた。しかし大塚国際美術館で美術陶板を鑑賞してから、「本物」を「複製」するということには様々な意味があるということを知ったのだ。

稚拙な言い方をすれば、この世には「良い複製」「悪い複製」がある。

大塚国際美術館の美術陶板は「良い複製」であり、そして今回すみだ北斎美術館にて開催されている「フリーア美術館の北斎展」、こちらに展示されているフリーア美術館の複製画も、確固たるプライドを持った「良い複製」と言えるだろう。
本物を模すことが何をもたらすのか、その新たな一面を知ることができる展覧会だった。

※写真は主催の許可を得て撮影しています。

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最近、地味に続けていること

ゴールデンウイークに、野点(のだて)に挑戦した。

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前々から「実は最小限の携行品で実践可能なんじゃないか?」と勘繰っていた野点
──と言っても、本格的なそれらしいものではなく、ただ単に外でお薄を飲むというだけである。よって、シミュレーションなどしなくても、お湯と抹茶と茶筅(ちゃせん)と器があれば事足りることは分かっていたのだけれど、やってみないことには分からないので、とりあえずやってみたのでした。

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ゆく春。楽しい時間が過ぎてしまう悲しみについて

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春が好きだ。

それも、一年のうちで今の季節が一番好きだ。

毎年、北風の中にときおり角の取れたまるい風が混じるようになると、春がもうすぐやってくるのだとわくわくする。

そして桜の蕾が気になり始めるのだけれど、これがだんだんと膨らんでくるとそわそわしてしまって、開花の情報が流れようものなら「ああ、そんなに急いで春にならなくていいんだよ」と焦ってしまうのだ。

この季節が一年のうちで一番好きだ。
でも、好きすぎるあまり、過ぎ去ってゆくのを恐れてしまう。

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