雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

山口晃展 画業ほぼ総覧-お絵描きから現在まで いってきた

群馬県立館林美術館 chirashi

先日画伯の個展に行って参りまして、争奪戦の末勝ち取ったトークショーも拝聴して参りました。もうね、今回トークショーのチケット入手難易度がハンパなかったです。手段が電話っていうのもアレだったけど、画伯の人気を感じるよ…。タイバニイベント本会場かジャニーズかってくらいの勢い。恐怖と焦りを感じました。 そして画伯、Twitterとかでエゴサーチしてるっていうから、もしかしたらこのエントリも画伯の目にとまってしまう可能性が無きにしも非ずで恥ずかしいですけど、書きます。

展覧会の内容についてはTwitterやアートブロガーさん達の記事の方がとても詳しいので、私は展示やトークを見聞きして思った2つのことを中心に書きます。情報が少ない上に無駄に長いブログですみません。

先の横山大観展でも書きました山口晃さん。大好きな作家さんで作品をちゃんと見はじめて約10年になります。過去に若気の至りで畏れ多くもご本人に「いつかお金を貯めて作品を買います!」と宣言したことがあり、身の程知らずだったよなァ…なんて思ったりしていたのですが、今回の展覧会を観てちょっと真剣にそれを考えたいなと思いました。(まあ、今の稼ぎでは到底無理だけれども…)

 

さて、画業ほぼ総覧ということで、幼き日のチラ裏らくがきから新作上毛かるたまで揃っております。まあ、新作は未完っていうか日々新しい顔をみることができる展覧会っていうか、画伯通常運転です。(Twitterにも"この前来た時と雰囲気変わった。展示替えされてるのかな"という呟きがありましたもの。。。) 展示は藝大時代の作品から始まりまして、お馴染みの<洞穴の頼朝><十字軍>がありますが、巷で噂の在学中描かれた自画像が!

[caption id="attachment_739" align="aligncenter" width="343"]<自画像> 1994 東京藝術大学蔵 <自画像>
1994 東京藝術大学蔵[/caption]

この自画像、公の場では初のお披露目だそうで、伝頼朝像(というか近年足利直義と言われているもの)と似たスタイルで描かれています。自画像はもうひとつあるのだけれど、そちらに比べてちょっと老けてる…?もう一枚はイケメンです!(注:もちろん三次元の画伯はイケメン) 他にも<深山寺参詣圖>は初めて観たかもしれない一点。前日に東博の京都展へ行って洛中洛外図を観ていたので、リンクさせて観賞することができたので面白かったです。

で、ですね。前述の2点と同じ部屋にある<山乃愚痴明抄(やまのぐちあきらむのしょう)>

[caption id="attachment_741" align="aligncenter" width="1000"]<山乃愚痴明抄> 1995 中川諭吉氏蔵 <山乃愚痴明抄>
1995 中川諭吉氏蔵[/caption]

これは大学院の修了制作で、右から左へ話が進む絵巻になっている作品ですが、普通の絵巻と違うのは空間や視点が自在に描かれていることです。そして、街の図・合戦図・漫画とある意味山口さんの作品の基本とも言える構図が1枚に纏められている作品なのですが、もし山口さんのトーク等を聞いたことがなくて”山口晃さんてどんな作家なのだろう”と思った人はこの作品の漫画の部分のセリフをがっつり読むと良いかもしれないです。おそらく山口さんの絵を描く姿勢ってここにあるんじゃないかしら ・ この修了制作に込められた姿勢は今もずっと変わっていないんじゃないかしらと思いまして、トークを聞いてああやっぱりそうなのかも、と思った次第です。(とか言って違っていたらごめんなさい、画伯)

漫画のセリフをざっくり言うと「作品として作家の持つ内側の世界を表現するにあたって、観る人にもある程度分かるように解説することが大事。もちろんブツ(作品)が良いというのは大前提で」という感じの内容です。 この話、実は今年の頭だったか、東北芸術工科大学の卒展講評でもされていたのです。とある学生さんの作品の講評で「これはもう一歩観る人に寄ってみるといいかもしれない」と言った山口さん。それに対し学生さんは「自分はこれでいいと思っている。自分の世界を表現したらこの形になった」という(もうちょっと違う言葉だったけども)意見を述べました。しかし山口さんは「それではいけない」と。 曰く、”自分の世界は自分の中から出た瞬間、ある意味自分であるとは言えなくなってしまう。それは向田邦子さんが言うところの「自分が吐いた唾をまた舐めろと言われたら抵抗がある。今まで自分の咥内にあったものなのに」というのと似ていてる。一度自分の中から出たものは自分ではないけれど、それが自分から出たということを周囲に伝えるには翻訳をつける必要がある。翻訳を怠ってはいけない”。 この講評を聞いた時、「ああ、どこかでこれを聞いた覚えが」と思っていたのですが、<山乃愚痴明抄>の漫画部分でした。 で、本日のトークでもこういった話題が出てきました。 それは、「だってこれがやりたいんだもの」「だってこう見えるんだもの」という発露が美術(作品を生み出す)には必要なのであって、それに自身が気付けてさらに形にできる力が今度は要るのだけれども、そこで思い切り自分の世界に走ってしまうと観賞者から乖離しすぎて趣味の域になってしまうし、かといって自分以外の人が分かりやすいようにすることに注力しすぎると職人になってしまう。アーティストであるには、その中間を上手くコントロールして作品を生み出す必要がある、というもの。

先日、私のTLにNaverまとめ(画家山口晃の現代アート作品、写真、画像集)やTogetter(親鸞の挿絵がファンキーな件)がたくさんリツイートされてきたのですが、今まで山口晃の“や”の字も言わなかった人たちが口をそろえて「こういう世界かっこいい」とか「クソワロタwww」といっているのを見ました。それって山口さんが表現したいものが初めて山口さんの作品を観た人にも伝わってるってことであって、自分のやりたいことを殺さない翻訳がちゃんと効いているってことだと思うのです。

おそらく、自分の中の世界が確立され、且つ非凡であればあるほど、それをアウトプットすることよりもその世界を壊さない翻訳スキルの方が作家として評価される際に必要になるんじゃなかろうか。

もちろん「そうは思わない!」という人もいるとは思いますし「分かる人にだけ分かればいい」という意見もあると思いますが、自分の作品として自身が納得いくものであり且つ他人から「この人はこういうものを作っている」とある程度分かってもらえるものでないと、作品を世に送り出して伝えるというのは難しいんじゃないかなあ。

 

 

さてさて。今回の展示には数多く”個人蔵”になっている作品がお目見え。

[caption id="attachment_746" align="aligncenter" width="300"]<WORLD ORDER 「2012」> 2012 須藤元気氏蔵 WORLD ORDER 「2012」
2012 須藤元気氏蔵[/caption]

冒頭で紹介した子どもの頃のチラ裏や、高校の卒業アルバム(表紙を描かれていました)、そして槇原敬之氏(自身のアルバムLIFE IN DOWNTOWNのジャケット等の原画)、須藤元気氏(WORLD ORDER 2012のジャケット等原画)、三浦しをん氏(『風が強く吹いている』の原画)、さらには学生時代に桐生市のギャラリーで個展をしたときに作品を購入された方々が所蔵しているものまで。

よくぞ集めた館林美術館!! だって桐生のギャラリー今はもう無いし、オーナーもお亡くなりになっているというのに、よく購入者調べたよね…。 で、まあ、こういう「○○氏蔵」っていうの見ると、コレクターにまではなれなくとも、好きな作家の作品を自分が持つっていいよなァ…と思ってしまうわけです。少し前にオペラシティでやったコレクター展を観てすごく面白かったし好きな時に好きなだけ作品と対峙できるってどんな気持ちだろうと想像してたっていうのもあって、作品を購入することについてうっすらと意識し始めていたところだったので尚更。 アートを購入することでアートシーンを支えることができるというのも大切なんだけれども、もうちょっと違うっていうか、夏の終わりに抱一の<四季花鳥図巻>を観たときに強く思った「これを大切にしなきゃ!」っていう気持ちなんだよなあ… 山口さんがトークの頭に「ともすれば破れてしまったり壊れてしまいやすい絵が何百年も残っているのは”これは大切にしないと”と思った人が大切にしてきたからで」と仰っていたけれどまさにそれで、私がちゃんと愛でて守りますんで!家にお迎えしたいです!っていう感じでしょうか。言うなれば名高い桜の桜守みたいな。それに関わっていきたいですっていう。 なので、今の収入じゃちょっと難しいっていうのと、今画伯に注文が殺到してるらしいので、両方の意味でいつになるかわからないけれどいつか手にすることができたらいいなと思っています…つって、実は1点直筆持っているんですよ~! うふふ。。。 etoki 本当にこの展覧会はたくさんの作品が良いバランスで来ていて、山口さんの作品を知っている人はもちろん、知らない人も満足できると思います。「モデルの山口晃くんは知ってるけど絵を描いてる人は知らない」っていう人も、美術館出る頃にはファンになってっから。私が保証する。 大きな作品のほかにも『20世紀クロニクル』や『親鸞』等の挿絵が抜粋された状態で展示されており、なかでも澁澤龍彦の『獏園』のちょっと卑猥なシーンには絶妙な規制が入っています。これはこの会場ならではなので見逃すべからず!!

長々と書きましたが、「<TOKIO山水> は未完のように見える作品なので、時折”加筆されましたか”と聞かれることがありますが、加筆はしておりませんよ」と菩薩のような涼しいお顔で仰っていた画伯ですが、とある筋から「いや、加筆されているはず」という重要な証言を聞いてしまったので、上に書いたトークの内容もどこからどこまで本心かわかりませんが(笑)、まあ画伯の掌の上でころがるもまた楽しい、好きな作家が同じ時代に生きてさらに話を聞けるだけでも奇跡だわということで、これからも画伯のご活躍を楽しみにしている所存です。

 

あるところに、チラシの裏に思いのままに落描きをするのが大好きな少年がいました。 ある日自分の持っている技術だけではこれ以上思うように描けないと行き詰まり、東京藝術大学を目指します。 入学して気づいたことは、ここはお絵描きの延長にある場所ではないのだということ。 それならば学べる技術を体得して、自分の中にある”内なる日本”と融合させようと決意します。 さて技術は身に付けたものの、自分の中にそれまで自分が思い描いていた桂離宮のような高尚な日本はありませんでした。 しかし変わりに、高尚なものの末裔たちが根付いていました。 それは幼いころのびのびと描いていた自動車。西洋から輸入し、日本独自の技術と感性を用いて改良した日本車。 自分の中にある内なる日本はそれだ。そして自分がやりたいのはあの頃のような落描きだ。 彼は、自分は所謂「油絵」という道から外れないと絵が描けないのだと気づき、「油絵」を手放すことを決意します。「だって、これがやりたいから」。

メゾン・エルメスHPより

山口晃画伯の「これがやりたいんだもん」を、とくとご覧あれ♡

 

山口晃展 画業ほぼ総覧~お絵描きから現在まで 群馬県立館林美術館 (ホームページ) 会期:2013年10月12日(土)-2014年1月13日(月・祝) 時間:午前9時30分-午後5時  ※入館は閉館30分前まで