雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

かぐや姫の物語 観てきた

kaguya

 

蝶めづる姫君の住みたまふかきたはらに、按察使の大納言の御むすめ、心にくくなべてならぬさまに、親たちかしづきたまふこと限りなし。 この姫君ののたまふこと、「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ」

【中略】

「人はすべて、つくろふところあるはわろし」とて、眉さらに抜きたまはず。歯黒め、「さらにうるさし、きたなし」とて、つけたまはず。いと白らかに笑みつつ、この虫どもを、朝夕に愛したまふ。

 

 

スタジオジブリの映画 「かぐや姫の物語」を観てきました。 上の話は竹取物語ではなく堤中納言物語だけれども、観ればわかる。こういう話です。

※以下、うっすらネタバレあり

予告編で疾走する姫を見て、「なんだこの映像は!!」と釘付けになってからずっと気になっていましたが、うーん、すごい映画。(あの疾走シーンは全て水彩画!) 個人的に2013年観た映画の中で一番です。 疾走

この作品の中には日本の持つ美しさや残酷さ、優しさ、情、非情、あっけなさ、虚無、生命、匂い、風、暖かさや寒さ、哀しさ、愛おしさなど、目に見えないけれど絶えず脈々と漂っているそれらが内包されています。祭りでお囃子を聴くと自分の奥深い細胞が目を覚ましてハレの中で踊るような、そういった根っこにある感覚が刺激される作品。劇中でながれる歌も、とにかく美しい。あまりに美しいからちょっと泣いてしまった。

話はよく知られている「竹取物語」そのままです。 が、「かぐや姫の物語」は物語をなぞるというよりも、かぐや姫が地球で何を思って何を慈しんだか、何を見て何を糧としたのかを描いています。 お爺さんとお婆さんに育てられ、やがて美しく成長して身分の高い人たちに求婚され、それを断るべく様々なクエストを彼らに言い渡し、撃沈し、時が満ちてついに月からの使者が迎えに来る。 その一連の月日をかぐや姫はどういう気持ちで過ごしていたのだろうか。彼女は地球を去るということをどう感じていたのだろうか…そんなこと今まで考えたことがなかった。こんなにも有名な話なのに、どういう気持ちで大量のプロポーズを断ったのか、そんな日々が続いて退屈したかもしれないのに「月へ帰りたくない」と言うのはなぜだろうなんて、一度も不思議に思わなかった。 それを、かぐや姫と同じ時間を過ごしながら再考していくわけです。

劇中にはさまざまな印象深いシーンがありますが、一番衝撃を受けたのはラストの数分間。 月から使者がやってくるシーンです。 この圧倒的な演出はいったいどういうことなんだろうか・・・ 息をするのも忘れるとはまさにこのこと。 決して派手な映像効果を使っているわけでも、トリッキーな展開にしているわけでもないのだけれど、無情且つ清浄、「すごいものを見てしまった」というショックだけが残る。

この気持ちはきっと、あの屋敷で月からの使者がかぐや姫を迎えに来たのを見てしまった人間と同じ気持ちなのでしょう。

映画館を出て、夜の静かな街のなかをゆっくり帰りました。 ほぼ夜中といっていい時間だったので、とてもとても静かでした。 あの天人たちが奏でる音楽が今も耳から離れない。 月は出ていなかったけれど、燦燦と輝く星たちを眺めずにはいられませんでした。

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