雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

憎悪にかられた人間が【テクノ法要】に行ったときの話

東京国立博物館

 

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最近、生きるのが嫌になることが立て続けに起こった時に丁度テクノ法要に行く機会があったのだけれど、これは一体何と表現したらいいのだろう?

救われるとも、仏を信じるとも違う、とても不思議な気持ちになったので、記録としてその時のことを残しておく。

 (注:いつものように長いうえに、自分の話が多いエントリです)

 

 

釈迦は鬼を救えるか

先日通り魔のようなものに遭ってそこそこのダメージを負い、ちょっとした騒ぎになった。幸いにして命に(おそらく)別条はなかったものの、数日間は痛みが残るくらいの攻撃を受けてしまった。

しかし痛みより何より私の中に深く痕跡を残したのは、抱えきれないほどの相手への「憎悪」の感情だった。自分の中に沸き起こった感情は、「恐怖」よりもおびただしい「憎悪」。

あれから3週間ほど経った今も「あいつを絶対に許さない」という確固たる憎しみがマグマのように渦巻いているくらいなので、当日は冗談抜きで血管が切れそうなほどの怒りを持て余していた。

しかし辛い出来事はこれで終わりにはならなかった。
不幸は重なるもので、なんとその翌日、今度は上着を盗まれるという事態に遭遇してしまう。
十秒ほど目を離した隙に、椅子に掛けていた上着が忽然と消えたのだ。貧しい私にとって、その上着はそれなりにお値段のするものだった。よもや日本の明るい店内で衣服を盗まれるとは。一瞬真っ白になった頭の中が事態を把握すると同時に前日の事件がつぶさに呼び起こされ、この世に対する怒りが限界を突破した。

この日はなかなかに寒かったので上着を持ってきていたのだ。夜に予定があったから、風邪をひかないようにと前の晩に用意した。それを盗まれ、どうして落ち着いていられよう。容赦なく吹きすさぶ夜風に身を縮めるごとに、上着を盗んだ人間への憎しみが募っていく。

「おのれ人間どもめ!」
本気でそう思った。
まあ自分も人間なんだけれど、この時自分が「人間に迫害される人外の者」であるような気がしたのだ。まるで鬼のような、「異質な何か」になった心持ちだった。

今なら銃で撃たれても走れそうな気がするという万能感が湧くと同時に、「釈迦なら鬼を六道より救って見せよ!」という挑戦的な気持ちが湧いた。
―――なぜ釈迦か。
そう。私はこの日、これからテクノ法要に行くところだったのだ。

 

枕が長くなってしまったけれど、私はあの晩、人間に対するどす黒い憎しみを抱えてテクノ法要に行ったのです。
今後もテクノ法要に参加するかもしれないので、記念すべき初テクノ法要の際、そういったバックグラウンドがあったことを後の自分のために書いておくことにしました。

 

そしてテクノ法要へ

後から知ったのだけれど、この日の法要は11月6日のイベントへ向けての初合わせのようなものだったらしい。
20時を過ぎ、私は東京国立博物館の講堂へ向かった。
どうせなら大報恩寺の展示室でやってくれたら良いのになァとも思わなくもなかったが、この時は酷い怒りが渦巻いていたので、早く仏の力でなんとかしてみせろや的な、まあこの際場所はどこでもいいから楽にして下さいという気持ちの方が強かった。

 

会場の照明が落ち、6人のお坊さんが楚々とステージに現れる。
彼らが腰を下ろしたところでステージと天井にプロジェクションマッピングによる仏が現れ、読経が始まった。

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正直思っていたのとは違った。
というのも、私の中ではテクノに乗せた読経に合わせて暗闇の中みんなで踊るイメージだったんですね。クラブやフェス的な現代版「踊り念仏」のイメージ。

でも、そうじゃなかった。というか、講堂でやる時点で着席に決まってんだろって話なんだけど、こう……みんながじっと打ち込みのテクノに乗せた読経を聴き、スマホで動画を撮り……という空間だった。

しかしそれがダメだったというわけではない。どう言葉にしたらよいか分からないけれど、とんでもなく不思議な気持ちになったのです。

 あの時私は本当にどうしようもないほどの憎悪を抱えていて、それがテクノに乗せた読経によって「ありがたや、ありがたや……」みたいに昇華されていくもんだと思っていた。
しかし、一切そういう気持ちにはならなかった。
怒りは今も残っているし、憎しみも悔しさも消えることなく残っている。
ただ、すごく不思議な体験をしたという事実が、憎しみの海の中にポンと投げ込まれたとでも言うのかしら? まるでブイのように、他に侵食されることなくぽつりと浮かんでいる。そういう気持ちになったのでした。

冒頭にも書いたけれど、救われるでも、仏の存在を信じるでもない、全く別のパラレルな何かがこの時間軸に投げ込まれたような、そういう非現実的な不思議な何かがあの時間だったのだと思う。

救済という感じはしなかったけれど、明らかに法要の間は連綿と続いていた怒りの感情が中断されていた。もしかしたらその圧倒的な「ぶった切る力」こそが、仏の力なのかもしれない。しばし見かけるキリスト教などの”奇跡”もそうだけれど、それこそ暴力的なまでに日常を分断する現象を目の当たりにすると、人は人智を超えたものの存在を想うのかもしれないなあ。

また、このイベントに対し「極楽浄土」という表現が使われているのをいくつか見たが、蓮の花が咲き、迦陵頻伽が舞い踊る極楽浄土っていうよりも、「異空間」というほうが私はしっくりくるかな……。

 

さてさて、私はこの日、後ろの方の席に座っていたのだけれど、これはぜひ映像やお坊さんに近い席で体験した方が面白いのではないかと思った。
仏の名が弾幕のように流れ、姿が現れては消えてゆく映像に没入し、空気を震わせる声を皮膚で感じたほうが数倍すさまじい体験になるのではないだろうか?

Twitterでも呟いたけれど、できればいつか、夜が明けるわずか手前の時間に山のふもとかなんか広大な場所で火を焚き、大きな映像を映し出し、程よく酔っ払いつつ爆音に身を委ねながらこれを体験したら、それこそ簡単にトランス状態になれるんじゃないかなあ。

 

宗派の壁を超える

お経を現代的な音楽に乗せるというのは、実はそれほど斬新というわけではない。

少しでも初音ミクなどのボーカロイド文化を覗いたことがある人は、般若心経ポップなどのアレンジを聴いたことがあると思う。

 

 般若心経をお題に大喜利の如く様々なアレンジが出て、ついには英語で歌う般若心経ロックも現れた。

このような文化を見るにつけ、仏教と仏教徒ではない人たちとの間に大きな隔たりがあるかというと、そんなことはないと思う。仏像観にくる若い人たちもたくさんいるし。

ただ、昔に比べたら神様仏様への信仰というものは圧倒的に薄れているのは事実。でもそれは洋の東西を問わず世界的にそうだろうし、これは科学の発展とともにはるか昔から始まっていることだから仕方ないのかもしれない。

今回テクノ法要を聴き終わったあと、テクノ法要のメインボーカルでもあった京都は大報恩寺千本釈迦堂)の菊入諒如住職と、テクノ法要を考案された福井・照恩寺の朝倉行宜住職の話を聞いたのだけれど、やはり末法の世を憂いておられるのかな~という気はした。
とはいえ、仏の教えが消えていくこの世界に再び釈迦の言葉を! という力の入った感じではなく、「現代の疲れている人たちにとって、仏の教えは結構しっくりくると思うから良かったらどうぞ」というノリだった。

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左:菊入諒如住職(京都 大報恩寺) 右:朝倉行宜住職(福井・照恩寺)


面白かったのが、菊入住職と朝倉住職は同じ仏教でも宗派が違うということ。

私は最近「密教」がなんたるかをやっと(少し)理解したような人間なので、宗派の違いをそれほど強く意識したことがなかったんだけど、お経のタイプが全然違うのだそうな。
照恩寺(朝倉住職)は浄土真宗本願寺派大報恩寺(菊入住職)は真言宗智山派とのこと、今回のテクノ法要は「宗派を超えたコラボレーション」だったのです。

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「自分の声がこんなふうに音楽と合わさるのかと新鮮な気持ちになった」と話される菊入住職。


ちなみにテクノ法要のプロジェクションマッピングでは、経文の弾幕みたいなものが表示される。その中で「これどう読んだらこの発音になるんだ?」っていうお経があったんだけど、真言宗では観音や如来の名前を、サンスクリット語の発音のままで読むお経があると聞いて妙に興奮した。

こんなこと言うと罰当たりかもしれないけれど、「清らかな官能」と表現したくなるような、本当に不思議な響きだったんだよなあ。

通常こういった宗派を超えた試みはあまり行われないそうですが、面白かったから今後もやっていきたいとのこと。さらっと仰っていたけれど、これって長い仏教の歴史の中において、大きな出来事でもあるんじゃないかしら。

 法要にテクノを持ち込むことに対し、いろんな反応があったと思う。なかには快く思わない人や檀家もいたかもしれない。
しかし歴史を振り返ってみると結構チャレンジ精神旺盛な試みをした僧侶は多いので、時代に合ったかたちなのかなと思ったりもした。少なくとも超絶拝金主義かつ新興宗教的な副業を始めて本来の法事の最中にそっちの信者を本堂に上げるような人を舐めくさったうちの菩提寺に比べたら1億倍良いですよ……。

そんなわけで、次回本堂でやるイベントがあったら参加してみたいと思います。