昨年、大塚国際美術館に行ってから、自分の中で「複製」という言葉のイメージが大きく変わった。
それまでは「本物」こそが「本物」であり、「複製」は総じて「偽物」という印象を抱いていた。しかし大塚国際美術館で美術陶板を鑑賞してから、「本物」を「複製」するということには様々な意味があるということを知ったのだ。
稚拙な言い方をすれば、この世には「良い複製」と「悪い複製」がある。
大塚国際美術館の美術陶板は「良い複製」であり、そして今回すみだ北斎美術館にて開催されている「フリーア美術館の北斎展」、こちらに展示されているフリーア美術館の複製画も、確固たるプライドを持った「良い複製」と言えるだろう。
本物を模すことが何をもたらすのか、その新たな一面を知ることができる展覧会だった。
※写真は主催の許可を得て撮影しています。
「門外不出」を連れ出す方法
フリーア美術館をご存じだろうか。
フリーア美術館は、かのスミソニアン博物館群のひとつにあたる、アジアの美術に特化した美術館である。
デトロイトの実業家であるチャールズ・ラング・フリーアによって設立されたこの美術館は、俵屋宗達の《松島図屏風》や、かつて横浜美術館のホイッスラー展でも紹介された「ピーコックルーム」など、数々の優れた美術品を擁している。
──が、フリーア美術館にはひとつ大きなルールがある。
そう、同館の所蔵作品は、そのすべてが「門外不出」なのだ。
そんなわけで過去の展覧会では、フリーア所蔵の作品を用いたければ、パネルや映像などを使うしかなかった。
ああ、愛しのフリーア美術館。なんとかしてお招きすることはできないだろうか……と、今まで多くの美術館が途方にくれたことだろう。
そこで「綴(つづり)プロジェクト」の登場である。
「綴プロジェクト」とは
日頃美術館に足しげく通っている方はご存知かもしれないが、綴プロジェクトとは以下のような指針を持った京都文化協会とキヤノンによる文化財継承プロジェクトだ。
「綴(つづり)プロジェクト」(正式名称:文化財未来継承プロジェクト)は、キヤノンならびに特定非営利活動法人 京都文化協会が共同で行っているプロジェクトです。日本古来の貴重な文化財の高精細複製品を制作し、オリジナルの文化財をより良い環境で保存しながら、その高精細複製品を有効活用することを目的としています。
■ 海外に渡った日本の文化財
歴史の中で海外に渡った日本の貴重な文化財を高精細複製品として再現し、海外に渡る以前の所有者などへ寄贈することを目的としています。
■ 歴史をひもとく文化財
歴史の教育の現場で生きた教材として高精細複製品が活用される事を目的として、小・中学校の歴史教科書で一度は見たことのある文化財などを対象とします。(以上「綴プロジェクト」公式サイトより引用)
要は海外に散逸した文化財をゆかりある所蔵先へ寄付して日本でも鑑賞できるようにしたり、劣化が懸念されるオリジナルの代わりに教育普及活動等に利用するための高精細複製画を制作している、ということ。
活動実績や制作など詳しいことは綴プロジェクトの公式サイトに書いてあるが、東京国立博物館で《松林図屏風》や《平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風》を観た方も多いだろう。
その高精細複製画が、今度は北斎の肉筆画に挑戦する。
門外不出のフリーア美術館所蔵品を、高精細複製画で外に連れ出す
裏技的な手法ではあるけれど、こうすることによって今までパネルでしか見比べることができなかった作品が、きちんと軸層されたり、屏風に仕立てられた状態で鑑賞できるようになった。
「そうは言っても複製品でしょう」という意見はあると思う。
たしかに細部までじっくり細かに見比べたら、肉筆と複製画の違いは分かる。
けれど、まさか絹に印刷しているとは思わないでしょう? 本物と全く同じ表具を使っているとは思わないでしょう? あえて現在所蔵されているものに仕立て直す前の軸装にしていますとか、そんなマニアックなこだわりを持っているとは思わないわけですよ。
でも、あるのだ。綴プロジェクトにはそういうこだわりが。
長くなってしまったが、そんな渾身の複製画13点と、それに関連するすみだ北斎美術館所蔵の版本や版画が展示された「フリーア美術館の北斎展」。本来ならば実現するはずのない空間が、最先端の技術によって成し遂げられた会場は、まさに夢の共演と言えるだろう。
※ちなみに綴プロジェクトは複製画を一切量産せず、すべて”一点物の複製”としているとのこと。
「見比べること」で見えてくること
「フリーア美術館の北斎」展(正式名称:「綴プロジェクト」-高精細複製画で綴るー スミソニアン協会フリーア美術館の北斎展)は、全5章で構成されており、各章にてフリーア美術館の肉筆の複製画と、すみだ北斎美術館所蔵品を見比べることで、北斎の画風を理解できるつくりになっている。
章立ては以下の通り。
- 1章 「玉川六景図」の研究
- 2章 古典と伝説
- 3章 美人画
- 4章 動物と植物
- 5章 自然と風景
なかでも1章の「玉川六景図」の研究は少し特殊な内容となっている。
現在フリーア美術館に所蔵されている六曲一双の屏風《玉川六景図》はこの並びではない。
しかし、もとは本展に展示されているような配置で絵が並んでいたのではないかということが、すみだ北斎美術館の奥田学芸員の研究によって解説されている。
本物を分解して並べ替えることは難しいが、高精細複製画ならこうった研究を実物大ですることができる。これぞ綴プロジェクトならではの試みだろう。
この屏風を見るとよくわかるが、筆致や彩色は言わずもがな、和紙の劣化まで詳細に再現されている。何年か前、見本市にてキヤノンの方からスキャニング技術についてお話を伺ったことがあったけれど、絶えず研究は進められているのだな……と高度な技術に感服した。
作品は変わってこちらの《雷神図》。もとはフェノロサのコレクションだったらしい。
墨を飛ばしたスパッタリングのような技術も繊細に表現されている。北斎88歳の頃の作品。88でこのエネルギッシュな絵が描けるとは……。北斎自身は110歳まで生きたかったようだが、本人曰く6歳から絵を描いているとのことなので、江戸時代において一番画歴が長かった絵師かもしれない。
フェノロサは当初そんなつもりはなかったらしいが、なんでも離婚を機にこの《雷神図》を手放すことになったとか……。この日、ギャラリーツアーをしてくれたフリーア美術館の日本美術担当学芸員であるフランク・フェルテンズ氏曰く「慰謝料が高かったのかもしれませんね……」とのことでした(笑)。
さて、前述のとおり、本展ではフリーア美術館所蔵の肉筆画(を高精細複製画としたもの)にあわせ、すみだ北斎美術館所蔵の版画や版本も出陳されている。
《雷神図》の雷神に通じるキャラクターが載っている版本を見ると、北斎のいわゆる「手癖」のようなものが垣間見れて面白い。
この蛇もまさにそうだ。
(ちょっと私の写真では分かりにくいですが)このような「この系統のキャラを描くときはこの描き方」という、ある種の「癖」が見えてくる。しかしよくよく見比べてみると、肉筆画として描くときと、版画の下絵として描く時では、微妙に描き方を分けているのだ。
《十二ヵ月花鳥図》においては、一層顕著にその違いがわかる。特に小鳥の足先などは違いが見つけやすい。(※前期展示)
作風は全く違えど小原古邨の下絵を観たときも、「この人は版画のための絵をどう描けば良いか熟知しているんだな」ということがよく伝わってきたが、きっとそういうことなのだ。北斎もそれぞれのメディアごとに、どう描けば映えるのかを知っていたのだろう。
それは花鳥画だけでなく、あの有名な浪の絵にも見つけることができる。
フリーア美術館所蔵の《波濤図》に打ち寄せる荒波は、まるで駒爪のような形をしている。
そこで有名な《神奈川沖浪裏》やその他の版本を参照してみると、やはり大波を描くときに北斎はこの駒爪のようなフォルムを用いている。
しかしよく見ると細部に異なる表現を施していていることが確認できた。
こういった発見は書籍や論文を読めば出てくるのだろうが、百聞は一見に如かず、やはり自分の目で見て体験することで一層理解できると思う。
本物ではないけれど、こういった体験をするためには複製画は大きな役割を持つのだろう。今回展示される13点は、今後すみだ北斎美術館の教育普及活動に積極活用されるらしい。ぜひあらゆる見せ方を企画していただき、様々な発見をすることができたらなと思う。
2019年はチャールズ・ラング・フリーアの没後100年の年となる。
当時海外コレクターは版画を積極的に収集したが、フリーアは肉筆画を集めた。現在横浜美術館で展覧会が催されている原三渓とも交流があったという。
フリーアの愛した北斎作品と、北斎が生み出したあらゆるモチーフたち。
最先端技術によって門外不出の品と見比べることができる時代に生まれたことは、ありがたいことだなあと思わずにはいられない展覧会でした。
展覧会概要
「綴プロジェクト」─高精細複製画で綴る─スミソニアン協会フリーア美術館の北斎展
会期:~8月25日(日)
時間:9:30~17:30(入館は17:00まで)
休館日:8/5(月)、8/13(火)、8/19(月)