雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

葉山女子旅きっぷを使って、アレック・ソス展に行った話

神奈川県立近代美術館でやってるアレック・ソス展に行きたい」

www.moma.pref.kanagawa.jp

そう思っていたのが6月とかそれくらいで、葉山は家からかなり遠いし、8月の夏休みに旅行気分で行くかと思ったところ「8月の葉山はシャレにならんレベルで混むし、渋滞もひどいからやめとけ」と多くの人に止められ、そうは言っても10月は忙しいので、行くなら今かと先日行ってきた。

そんなわけで、人生初・葉山に行った日記を書こうと思う。

 

コスパ最強 葉山女子旅きっぷを使う

 葉山に行くにあたり、情報を得ようと検索をしたところ「葉山女子旅きっぷ」なるものがヒットした。

www.keikyu.co.jp

こちら、「いまトピ」というサイトで共にコラムを書いているKINさんが以前記事にしていた、京急のお得なきっぷである(注:記事は2018年のもので、現在は少し値上がりしています)。

ima.goo.ne.jp

「女子旅」と銘打っているが、老若男女誰でも使える。実際現地のバスの中で、このきっぷを使っているおじさんを見た。

内容としては、指定駅から葉山までの運賃と、現地での京急バス乗り放題料金(フリー区間のみ)に加え、「ごほうび券」「ごはん券」が付く。

この「ごほうび券」というものは、現地のカフェでお茶をしたり、アクティビティに参加したり、ギフトを貰えたりと、いくつかのプランの中から選ぶことができるチケットだ。

この「ごほうび」の中には今回の目的であるアレック・ソス展の鑑賞券(1,200円)も入っていたので、迷わずそれに使う。

次に「ごはん券」は、その名の通り「ごはん」が食べられるチケットである。こちらもいくつかプランが用意されていて、そこから1つ選ぶことができる。ちなみに神奈川県立近代美術館 葉山館のレストラン「オランジュ・ブルー」のランチにも使えたので、こちらも迷わずそれに使った。

 

きっぷには磁気乗車券とデジタル版があり、デジタルは磁気より100円ほど安い。私は品川から切符を使ったので、値段は3,580円だった(磁気乗車券は3,680円)。

品川から逗子・葉山まで電車賃往復1,300円。
アレック・ソス展チケット代1,200円。
ランチ代(おそらく)1,500円(くらい)として、もう4,000円なので元が取れている。

そしてここに、さらにバスの乗り放題が付くのだ。「ごほうび券」と「ごはん券」を使う予定がない以外、このきっぷを買わないという選択はないのではないだろうか。

▲葉山女子旅きっぷ(デジタル版)の画面  

きっぷを使うたびにネットに接続する必要があるため、海など場所によって電波が不安定になりやすい人は磁気版をおすすめします。

真名瀬のバス停で降りる

そんなわけで、朝早く起きて葉山へ向かった。品川駅の改札で「女子旅きっぷを使いたい」と伝えたところ、一旦窓口で入場券を貰う必要があるとのことだった。

窓口で利用開始の画面を見せると入場券をくれるので、こちらを改札にいる駅員さんに渡す。すると「葉山女子旅きっぷ」のパンフレットをくれた。これが結構役に立ったので、もらっておくと良いかも。

 

京急線に揺られること1時間。逗子・葉山駅に到着。逗子・葉山で改札を出るときは、窓口の人に見せるのではなく、きっぷのQRコードを表示させ、QRコードリーダーにかざす。


美術館方面へ行くバスは逗子駅が始発であるため、確実に座りたい人は逗子・葉山駅から5分ほど歩いてJR逗子駅から乗ったほうが良い。

今回は、混んではいるものの積み残しが発生するほどではなかったので、逗子・葉山から乗車。その後、故障車が停まっているということで大渋滞に巻き込まれたが、件の地点を過ぎたら特に渋滞することもなく、スムーズにバスは進んだ。そんなわけで、9月に入れば土日はそんなに渋滞しないのかもしれない。

さて、美術館へ行く前にどうしても途中下車したい場所があった。真名瀬のバス停である。
新海誠作品に出てきそうなこのバス停を一度は見てみたい──ということで降りてみたのだが、なんというか、写真におけるトリミングの力を身をもって知ったというか……。

▲真名瀬のバス停

何もない海岸線にポツンとバス停があるイメージだったので少々肩透かしを食らうが、それはまあ私が勝手にイメージしていただけだし、実際にそこに行くことでわかるものというのはあるので、納得してバス停を後にし、美術館へ歩を進めた。

レストラン オランジュ・ブルー

真名瀬から15分ほど歩き、美術館に到着。受付で女子旅きっぷを使う旨を伝え入館する。まだ10時を少し過ぎた頃だったが、会場は若い人を中心にそこそこ人が入っていた。

さて、アレック・ソス展には約1時間の映像作品(ドキュメンタリー)がある。昼前に展示を見はじめ、映像作品も見ると、確実にレストランが混みあう時間にぶつかることがわかった。

この日はちょっと欲張って平塚まで行こうとしていたので(結局行けなかったのだけれど)、まずソス展をざっと見て、レストランで昼食をとり、再び展示と映像を見ることにした。※ソス展は再入場が可能。

▲レストラン オランジュ・ブルー

ランチは11時から始まるので、ほんの少し前に行ったところ、先客は1組のみで席は選び放題だった。見ての通り、このレストランは眺めが素晴らしい。ちなみにテラス席はトンビが食事めがけて飛んでくるため、お茶のみとなっているそう。

きっぷで選べるのはハンバーグセットか丼もののみで、そこにドリンクが付く。今回はハンバーグをいただいた。

隣の席に座ったカップルの男性が、しきりに「優雅だ」と感動していたが、いや本当に優雅なんですよ。この日は風が強かったけれど天気は最高で、眼前には光る海。それらを見ながらの温かい食事は優雅以外のなにものでもない。
来てよかったなあとしみじみ思いながら、そろそろ待つ人の列ができ始めたので食事を済ませて美術館へ戻った。

▲ちなみにテラスからの眺めはこんな感じです

アレック・ソス展

腹もくちくなったところで、本格的に鑑賞を始める。

そもそも私はアレック・ソスについて、1969年生まれのアメリカ人写真家で、報道写真を主とするグループ「マグナム・フォト」の正会員でもある。……くらいしか知らなかった。

以前ユニクロのUT企画でマグナムが取り上げられたとき、ソスの写真を見て惹かれたのだが、なにしろソスについて日本語で読める情報がそれほどなかったので、今回ドキュメンタリーが上映されると聞いて、絶対にそれを見ようと思った。

ドキュメンタリーを鑑賞する整理券は事前に配布される。私は次の目当ての時間の1時間ちょい前にレストランから戻るようにし、整理券を貰い、1時間鑑賞してから映像を見ることにした。

展示は初期の作品〈Sleeping by the Mississippi〉から始まり、プロジェクトごとに5つの章で構成されている。ナイアガラの滝周辺のモーテルに宿泊した人などを撮影した〈NIAGARA〉、社会からドロップアウトした謂わば隠者に取材した〈Broken Manual〉、そして〈Broken Manual〉とは真逆の、コミュニティに属する人たちを追った〈Songbook〉、そして最新シリーズの〈A Pound of Pictures〉を紹介する。

▲〈NIAGARA〉シリーズより

彼の作風や色が好きなのでとても楽しめたし、8×10インチのカメラを使っていることもあって、大きく伸ばした作品も美しかった。スナップのように見えるけれど、測光やシャッタースピードをしっかり計算していることもうかがえる。

〈Songbook〉からはデジタルに移行し、より即時性の高い写真をテーマにしていたりもしたけれど、それでも大きく伸ばしたときのバランスをがっちり描いて写真を撮っているんだなあという印象を持った。

▲〈A Pound of Pictures〉シリーズより

最後の章〈A Pound of Pictures〉では、それまできちんと額装されていた写真がマグネット装になる。「もしご存知でしたら」と監視の方に尋ねたところ、興味深いエピソードを聞くことができた。

▲〈A Pound of Pictures〉シリーズより

曰く、ソスは写真展のために滞在したフィンランドで、瞑想からある種の啓示を受け、そこから1年活動を休止する。その後自他のつながりや境界について一層考えるようになり、壁を取り払うような意味も込めて、額装を止め、マグネットを使って展示する形式を選んだのだという。

また、この美術館には一部額縁のように壁が抜かれている箇所があり、通常は作品保護のために遮光カーテンが降りているのだが、本展では作家本人の意向もあって窓が開いた状態になっている。

こういったところにも、ソスの心境の変化が現れているということだった(ソスは、この壁の一部が開けて海が見渡せる造りを、たいそう気に入ったらしい)。

 

閑話休題、ドキュメンタリーについて。

本展、もちろん会場に章解説はあるのだが、おそらくそれだけでは不十分なのだろうなとドキュメンタリーを見て思った。というのも、コンセプトが幾重にもなっているがゆえに、章解説のスペースではどうしたって説明しきれないのである。
今回上映されていたのは、第3章に該当する〈Broken Manual〉の撮影に沿ったドキュメンタリーだが、正直ドキュメンタリーを見たのと見ないのとでは、作品の受け取り方が大きく異なると思った。

▲〈Broken Manual〉シリーズより

ドキュメンタリーは荒唐無稽とも言えるような、「洞窟付きの物件を探している」というソスの発言から始まる。結局のところ彼は「洞窟付きの物件」を本気で探しているわけではなく、それはソス自身の現実逃避のようなものであり、ひょっとしたらそういう物件を探す過程で被写体に相応しい隠者と出会えるのではという算段が含まれていたのかもしれない。

ともあれそうやって車を走らせて行くうちに、何らかの理由で社会から身を潜めたり、あるいは社会に見切りをつけたりして、ひっそりと僻地で生活している人と出会っていく。

彼らはパっと見、誤解を恐れずに言えば「近寄りがたい人たち」なのだけれど、話を聞いているうちに「ひとりの人間」としての解像度がどんどん上がっていく。正直ソスの行動には向こう見ずで危険な面も見られるのだが、この解像度をきっちり上げたところでポートレートを撮影するというところに、アレック・ソスの写真家としての矜持が現れているように思った。それくらい彼は踏み込んでいる。

最後に取材した人がとても特異で、仙人みたいな人だった。どうやって馬を飼育するだけの生活費を工面しているのかという謎は残るが、なんというか、スチャダラパーの「彼方からの手紙」という歌を彷彿とさせる人だった。ソス自身にとっても彼は衝撃だったようで、もう少し二人のやりとりを見たかったなと思った。

そんなわけで、ちょっと長くて大変だけど、行く方はドキュメンタリーも見てほしいです。それにしても片手でヒョイと8×10のカメラを担げるあの体格、つくづく羨ましいな。

バスに乗って棚田を見に行く

神奈川県立近代美術館 葉山館は彫刻も充実しており、以前鎌倉にあったイサム・ノグチの《こけし》をはじめ、李禹煥などさまざまな彫刻が庭に点在している。

▲マップもあるので、鑑賞後や食後の散策にも良いと思います。

そんなわけで散策などして、なんだかんだ思っていた以上に美術館が充実して4時間以上居座ってしまったので、平塚に行く時間がすっかりなくなった。それならバスに乗ってもう少し葉山を堪能しようということで、上山口というところへ行くことにした。ここには棚田があるのだ。

 

美術館から15分ほど歩くと、葉山大道という交差点に出る。そこからバスに乗って「上山口小学校」まで行き、また10分ほど歩くと上山口の棚田が見えてきた。

とても小さな棚田だが、稲穂の良い香りがする。蝉の声と秋の虫の声が共存するのはこの時期ならではで、少し寂しい感じがするのも「夏の終わりの小旅行」にぴったりだった。

高台にのぼり、上から棚田を見ていたら、足元で何かがきらきら光った。ニホントカゲだ。

初めて見たので衝撃を受けた。こんなにきれいな尻尾なんだなあ。見事な青のグラデーション。少ないとはいえ車も通るから気を付けてとトカゲに言って、棚田を後にする。

立石

再び「上山口小学校」のバス停からバスに乗って、来た道を戻る。葉山大道でバスを乗り換え、「立石」へ向かった。

立石は、海にぽつんと大きな岩がそびえたつ、風光明媚な場所である。バスを降りて海岸沿いを歩くと、立石公園が見えてくる。碑は泉鏡花が書いていた。

梵天の鼻」と呼ばれる見晴台を見たり、海岸を歩いたりしてみる。岩場を歩くたびにフナ虫らしき影が「ぞぞぞぞ……」と大移動し、海だなあと思った。

▲立石から海にダイブする男子 「あれでもう18歳なのよ~」とは親御さんの弁。

9月とはいえまだ暑いので、泳いでいる人が結構いる。日光アレルギーの人間にとっては結構しんどいので、ほどほどに散策してから、休憩にした。

 

さて、ここからは愚痴になるが、休憩先で入ったカフェが、それはもう、本当に酷かった。
世間的な評価は高いお店なので、単に私と相性が悪かっただけだと思うけれど、これまでの楽しい気持ちが一気に台無しになるほど嫌な思いをした。こんなことなら、暑くて日差しにヘロヘロになってでも、当初行きたかった店まで頑張ればよかった。
敢えて店名は書かないが、もう二度と行くことはないと思う。というか、ない。この世にこの店しか存在しなくなったとしても、絶対に行かないことを、ここに誓います。

夕暮れの葉山マリーナから、逗子海岸を歩く

あまりにもムシャクシャしたのでもう帰ろうかと思ったが、ここで帰ったら葉山のイメージは最悪なままで終わるので、せめてもの上書きをと夕陽を見て帰ることにした。

▲葉山マリーナ

再びバスに乗り、葉山マリーナで降りて、ずらりと並んだヨットと後片付けをしている人たちを眺める。

陽がだいぶ傾いてきて、空にだんだんと紅が混ざるようになってきたところで、逗子海岸に向かって歩いた。

今日が終わる。そして、今年の夏ももうすぐ終わる。すぐに秋がやってきたと思ったら冬になって新年を迎え、年明けの気分でいたらあっという間に春になって誕生日がきて、ひとつ年をとるのだろう。そうやってまた、夏が来るのだ。

──はたして、そうかしら? 本当に夏はやって来るかしら?
恙なく一年は回ってくれるのかしら?

昨今の不穏なあれやこれやを考えると、来年もこうしてふらりと気の向くままに小さな旅ができるだろうかと不安になる。不安になる反面、来年はどこへ行こう、いやまず秋にどこかへ行きたい、行くなら毛虫が完全にいなくなった11月の頭だな、などと考えた。

 

こんなことをぐるぐると取り留めもなくやっていたら、いつの間にか逗子海岸に到着した。音楽をかけたり、バドミントンをしたり、愛犬と海辺に座ったり走ったり、皆、思い思いに日暮れの瞬間を迎えている。

近くの店でコーヒーをテイクアウトして、浜辺に降りた。
ああ、一日が終わる。夜がくる。

砂浜に座り込んで、コーヒーを飲みながら、しばらくぼんやりした。

陽がどんどん落ちて行って、足元から生まれた新鮮な闇が、辺りを飲み込みはじめる。空の色がほどよい速度で変わっていき、行き交う人の顔がだんだんとぼんやりとしてくる。

誰そ彼時だ。

いい塩梅だし、家に帰るかと立ち上がる。サニーデイ・サービスの「海岸行き」という曲と、ブッカー・T・ジョーンズの「ジャマイカソング」を聴きながら、駅の方に向かって浜辺を歩いた。

逗子海岸から逗子・葉山駅までは、ちんたら歩いて20分かからないくらい。帰りもQRコードを出して、改札をくぐった。

 

帰りの電車の中でふと外を見たら、大きな満月が浮かんでいた。
そうか、今日は中秋の名月だ。もう少し粘って海で月を見れば良かったかなあと思いつつ、いい加減疲れたし、これでいいのよとしながらTwitterを開いたら、小沢健二くんがどこかの海岸の月(鎌倉?)を上げていた。

そしてふと、
「アレック・ソスと小沢健二は、同い年だ」
と思った、そんな夏の小旅行なのでした。