雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

「メットガラ ドレスを纏った美術館」観てきた  

 


初めて「メットガラ」という言葉を聞いた時、「人の名前かな?」とか「いかついヘルメットみたいな怪獣的な何かかな?」と思ったくらいこういう話題には疎い私ですが、そんな私が観ても興奮するほど面白かったこの映画。

「メットガラ」とはMET(=メトロポリタン美術館)で行われるガラ(=お祭り)のこと。メトロポリタン美術館には絵画部門とか彫刻部門のほかに服飾部門というファッションを取り扱う部門があって、そこの資金調達のために毎年5月の第一月曜日に美術館にレッドカーペットを敷いてセレブ呼んで華やかなファッションの祭典を行う、それをメットガラと呼ぶのだそうな。(原題はメットガラが開催される日にちなんで、“ THE FIRST MONDAY IN MAY.”)

ここだけ聞くと「あーはいはい、興味ない世界です」って思う人もいることでしょう。かつての私はそうでした。

「服を買いに行く服がない」、「暑さ寒さをしのげればそれでいい」、「ユニクロが最近高い」というのが専ら私の服飾事情。それは今も変わりませんが、ファッションはお金を服につぎ込める人だけのものだという概念が覆されたのは昨年(2016年)三菱一号館美術館で開催された「PARIS オートクチュール―世界に一つだけの服」展を観てから。

ファッションの世界は血反吐を吐いて精神を削りまくる戦いそのもので、デザイナーはみな自分の命を供物にして日夜服を作っていたのです。 や、そりゃそうだろうって感じかもしれないけれど、表向きは華やかな世界なんだけど、実はキラキラしていないっていうか、むしろ血眼汗だく。それが私の感じた「ファッションの世界」でした。

だから「メットガラ、豪華な世界観でセレブがたくさん出てきてファッショニスタ大歓喜♡」的なコメントを見てもそれがすべてと思わないでほしい。 むしろ交渉・折衝・予算・他部署・政治・歴史・哲学・人種諸々に八方から迫られつつ、挫折しそうになりながらブレそうになりながら、それでも“服の力で新しい物語を作っていきたい……”っていうおじさんと、“服飾部門の予算をなんとしてでも生み出すぞ!”っていうおばさん、そしてあぶりだされる繊細な問題をドキドキハラハラしながら見守る……みたいな印象を私は強く受けました。

で、メットガラ。

昨年メトロポリタン美術館(以下MET)で行われた企画展「鏡の中の中国」とメットガラ開催までの舞台裏を追うドキュメンタリー映画なんですが、出てくる人が濃すぎてすごい。有名人やスターが出てくるっていう意味じゃなくて(出てくるんだけど)、キャラが濃い。設定があるんじゃないかってくらい皆さん分かりやすい。METの服飾部門って絵画部門とかに比べて軽視されているらしく、地下が仕事場なのだそう。けれど構成員はツワモノ揃いで「ショムニ」を髣髴とさせました。※ドキュメンタリーなので、当然全員実在の人物です。

メインの登場人物はアナ・ウインターアンドリュー・ボルトン

2人とも「鏡の中の中国」展を動かしている中心人物なのだけれど、アナがメットガラ(イベント)担当でアンドリューが展覧会担当、という感じ。

まずアナ・ウィンター。「プラダを着た悪魔」のモデルにもなった彼女はMET服飾部門の理事を務め、米国版ヴォーグの編集長でもある。御年67歳とのことですが、とてもお美しく(ホントに)センスも良く、ピンシャンしていらっしゃいます。この世界に於いて絶大的なカリスマ性を誇っており、自分にも他人にも厳しい方だとお見受けするが、いかんせんバッサリ切る物言いが多かったり、パワープレイが過ぎるところがあるため、この人の地位を屁とも思わない人にはカリスマ性は通じず、大揉めするであろうタイプ……。

続いてアンドリュー・ボルトン。アナの方が何かと注目を浴びていますが、この人良いですよ。17歳でMETのキュレーターになることを夢見て、その夢を叶えた人。過去に開催した展覧会が大成功したがゆえに常にそれと比べられ、過去の自分と戦っている感じも見え隠れする。アナに比べて優しすぎるので周囲からヤイヤイ言われるとなんとか八方丸く収めようとしてドツボにはまるタイプ。でもとにかく服が好き。服がアートであること、ファッションが物語を生み出すと言うことを世界に伝えていきたいおじさん。

他にもアンドリューの上司のハロルドとか、展覧会の美術監督をやることになったウォン・カーウァイとか、カール・ラガーフェルドとか、バス・ラーマンとか出てくるんだけど、皆個性が強いので時折これがドキュメンタリーであることを忘れます。

 

さて。この「鏡の中の中国」という展覧会は、中国の持つセンスが西洋のファッションに与えた影響を服飾を軸に解説したい・ファッションを通じて中国に貼り付けられてきたステレオタイプなイメージを払拭し、新しい物語として展開したいっていう意図があるんだけど、それには政治や思想ががっつり絡んでくるのを避けられない。

交渉相手はあの“中国”なもんだから、それはもうただでさえ大変なわけです。しかし同じ東洋人からしてみると、やはり西洋の人は何だかんだ言ってもやはりステレオタイプなイメージは完全に払拭できていないんじゃないかとか、思想や宗教の面でも「いやいやそれは無理でしょう……」っていう提案をしてくるあたり、感覚的な面でも短期間で中国を理解するのは難しいのではないかと思ってしまうシーンが多々ありました。

だってブッダ関連の陳列室に人民服を展示したい”なんて言われたら、よほどの説得力がない限り「本気か?」と思ってしまうよな……。

私は別に中国に詳しいわけではないのだけれど、それでも政治的・宗教的な意味以前に、感覚的にNGだって思うんだけど、たぶんそういう感覚が彼らにはない(または薄い)のだと思う。同様に、きっと我々も西洋の文化や政治、宗教に対して感覚的にNGだと思うアンテナの感度は悪いはず。 こればかりは言葉で説明しても伝えにくいし、しみついた血脈のモラルみたいなものなんだけれど、そういう繊細な齟齬をこの映画はざくざくと切り込んで明るみに出してくるのです。

アンドリューやアナが締め切りや折衝に奔走する姿や仕事を進めていく姿は面白い。けれど、それと並行して描かれる意識の問題のあぶり出し方がとても興味深くて、ゆえにこの「メットガラ」という映画を一言で語れと言われたらものすごーく難しいんじゃないかしらと思ってしまう。 それくらい本当にいろいろなことを描いているから。そういうこともあって、ファッションに疎い人でも、アートに興味がない人でも、別のアプローチで十分楽しめる映画だと思います。

メットガラ運営側のお偉いさんの中にも中国の人は何人かいて、彼らは「なぜ過去の中国にばかり注目するのか・現在の中国が展示品の中に何もないじゃないか」と問う。 同じ質問を展示品を貸し出す中国の美術館(のような施設?)のスタッフからも投げられる。 けれどアンドリューもアナもうまくそれに答えられない。いや、答えているんだけれど、納得してもらえない。それは“彼らが中国人ではない”というのが大きな理由なんだと思います。劇中に「東洋を食い物にする 悪しき西洋」という言葉が出てくるのだけれど、そこまではいかずとも、「所詮よその国(殊更西洋)の人は中国のことを何も理解できていない・何を言ったところでステレオタイプなイメージから脱却できていない」と見られてしまっている。 映画の中ではここでウォン・カーウァイがバシっと決めるんだけど、このセリフは彼が中国の人だから言えるし、説得できるのだと思います。

あんまり書くとネタバレになってしまうのですが、もう本当にいろんなテーマをあちこちに散りばめており、且つ会話の言葉が核心を突いているものばかりなので「考えさせられました」なんてもんじゃないくらい密度が濃い。

 

まあそんなこんなで様々な問題を内包しながら期日は迫り、「進捗ダメです」みたいな笑えない状況が繰り広げられるのですが、現実を見ての通り展覧会もガラもなんとか無事に開催されます。

で、ちょっとネタバレになってしまいますが、私がこの映画でもう一度観たいと思うほど美しいと感じたシーンが2つ。 それはセレブリティが豪奢なドレスを纏ってレッドカーペットを歩む姿ではなく、ポスターにもなっているアンドリューが展示されているドレスの裾を調整するシーンと、ガラが開催されている最中にアンドリューが1人展示室を歩いて回るシーン

この2つのシーンを見ると、彼がいかに己が魂をファッションに捧げているかが良くわかる。 まるで服に恭しく跪くかのような姿。METの服飾部門のキュレーターになることを夢見た、当時17歳の写真の中の彼の笑顔を思い出すと冗談抜きで胸がきゅんとします。 また、誰もいない展示室をゆっくりと歩む姿はねえ……。 もうホントここまでくる間にいろんなことがあったわけで、交渉やトラブルが大変だったっていうのもあるけど、たぶん彼が一番悩んだのは、彼の敬愛するデザイナーたちが「自分の服を美術館に飾ってもらいたいと思ったことはない」「我々はドレスメーカーであってアーティストじゃない。アートが見たければランウェイではなくギャラリーへ行ってくれ」と思っているってことに直面したことなんじゃないかと。
それってはっきり言ってアンドリューが信じていることと真逆であって、だってアンドリューは「服がアートであることを世界に伝える」ためにボロボロになりながら戦っているわけですよ。でも、その“服”を生み出している人たちが(全員ではないにしても)「服をアートだとは思っていない」なんて言ったら彼が信じてきたものの根底がひっくり返ってしまう。 その矛盾が目の前に立ちはだかっていてもなお、ファッションがアートであることを信じているアンドリュー。 そんな彼が、自分が信じて8カ月間戦った末に誕生させた世界の中を静かに歩く姿、そのなんと美しいことか!

この映画は前述のとおり、たくさんの問題定義がなされているけれど、それについての明確な答えや正解は出されていません。これらの問題はこの先も問題であり続けるだろうし、時として溝を生むこともあるかもしれない。けれど、答えはなくとも新たな解釈や考え方というのは方々で小さな産声を上げ始めていて、その産声もこの映画はちゃんと拾っています。

「服はアートになり得るのか」

それが大きな命題のようになっているけれど、それだけじゃない、(繰り返しになってしまうけれど)もっと言えば服飾とは縁のない人にとっても、根底に流れるあれこれが実はものすごく身近な問題だったりする。
あと、サラッと紹介しているんだけど、アンドリューのパートナーってトム・ブラウンなんです。 本当に普通にさらりと「トム・ブラウン アンドリューのパートナー」ってテロップが出てきていて、家族を紹介するような自然なそれに好感を持ちました。 はやく世の中がこういうことを、当たり前のようにできるようになったらすごく良いのに。いや、良いのにと思うことすらなくなるほど、当然のことになってほしいな。

「メットガラ ドレスを纏った美術館」というタイトルはともすれば偏狭と捉えられてしまいかねない邦題ではありますが、もしかしたらこれが指す“ドレス”とは、たくさんの人々の想いや意識、信念の代名詞なのかもしれません。

劇場版はもうすぐ終わってしまうので、ちょっとでも興味がある方はお早めに!円盤も出るだろうけれど、できれば集中して一気に大画面で観てほしい。

先に挙げたシーンは胸が締め付けられるほど美しいので、スクリーンでぜひ。

 

「メットガラ ドレスを纏った美術館」

監督、撮影、編集 アンドリュー・ロッシ 公式HP→※どうか公式HPを開いたところにある「一流メゾンと豪華セレブリティが彩る……」という謳い文句がすべてだと思わないで!(笑