雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

100年たっても、新しい。マリアノ・フォルチュニ展でおおいに腰を抜かした話

「マリアノ・フォルチュニって誰?」

三菱一号館美術館の年間スケジュールが発表されたとき、そう思った。

f:id:nijihajimete:20190813195938j:plain

メインビジュアルを見るかぎりファッションの人のようだが、残念ながら存じ上げず……。というのも私自身ファッションにとても疎く、同年代の友人に比べてブランドなどもほとんど知らない。
服は暑さ寒さを凌げるかが一番大事で、次に自分に見合った値段。さらに最近だらしなくなってきた体型をカバーできればそれで充分だと思っている(ついでに皺がつきにくければ尚良し)。

それでも「マリアノ・フォルチュニ」展が気になったのは、過去に三菱一号館美術館で開催されたファッション系の展覧会で大興奮した経験があるからだ。

ハイブランドオートクチュールが並んでいたからではない。
眩いばかりの宝石が光り輝いていたからではない。

「この人やばすぎるな⁉」という逸話が、そして技術が、ぐうの音も出ないほど完璧な作品と共に繰り広げられていたからである。 

 というわけで、自分とは縁遠いはずのこの展覧会がとても楽しみで浮かれていた。

「マリアノ・フォルチュニ。あなたは一体どんな物語を見せてくれるのかしら?」

───そんな悠長なことを言って会場へ向かった私は、実際の展示を前にして腰を抜かすこととなる。そして腰を抜かすとともに、この人を「ファッション」で括るのを慌てて撤回した。
すごいぜ、フォルチュニ。
なんと我々の生活には、すでにフォルチュニの手によるあれこれが浸透していたのである。

f:id:nijihajimete:20190813215039j:plain

会場風景

 ※記事中の写真の中で所蔵先が書いていないものは、すべてフォルチュニ美術館(ヴェネツィア)の所蔵品となります。

 なぜ世界はもっとフォルチュニを推さないのか?

本展を観ている最中から鑑賞後まで、一貫して疑問に思ったのがこれ。なぜ世界はもっとフォルチュニを推さないのだろうか?

冒頭にも書いたけれど、私はマリアノ・フォルチュニの「マ」の字も知らなかった。そんなものだから、ブロガー内覧会が開催されると知った際に「全然知らない人だから、学芸の方のお話を聞いて知識を増やせたらいいな♡」などと呑気な気持ちで応募したのだ。(※というわけでこのエントリにある写真は、美術館の許可を得て撮影したものです)

そして運よく当選し、呑気なままいそいそと出かけ、前述のとおり腰を抜かした。
なぜ自分を含め、(おそらく)多くの人々は彼を知らないのだろうか?

今や手元にあるスイッチを入れたら、離れた場所にある照明がつく、というのは当たり前の技術ですよね? それを発明したのがこのマリアノ・フォルチュニさんなんですよって聞いたら、「ええっ⁉」ってなりませんか? 私はね、なったんですよ……。

そんなわけで「いけない、これはとんでもない人物だぞ」と襟を正して改めて解説を聞くと、出るわ出るわ逸話の嵐。「は? マジ?」と何度思ったことでしょう。

マリアノ・フォルチュニ。ポスターだけを見て「優美なファッションをデザインした人」と決めつけてはいけない。あの美しいドレスは彼の偉業のひとつにすぎず、そのめくるめく多彩な業績は、「同時代の同業者に同情する」ほど、ずば抜けたものだったのです。

f:id:nijihajimete:20190813215220j:plain

会場風景

 

20世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチ

しつこいけれど、マリアノ・フォルチュニ、なぜ彼はそこまで有名じゃないのだろうか? いや、すでにファッションの世界では十分有名なのだろうけれど、私みたいな人にも、もう少し周知されていても良いのでは……? というくらい、彼は本当に多岐にわたって偉業を成し遂げている。本展ではその代表的なものが章ごとに紹介されており、展示室を歩み進めるたびに「まじか……」と驚かずにはいられなかった。 

絵画

フォルチュニの父親はスペインの有名な画家で、今なおプラド美術館の収蔵品の中でも重要な画家として扱われており、2015年に三菱一号館美術館で開催されたプラド美術館展」にも作品が来日している(展示室途中にあるライブラリにて、その時の図録をチェックすることができます)。
また、以下の記事に当時の高橋館長のコメントが掲載されており、フォルトゥーニ(父)の絵の中にフォルチュニが描かれていることや、館長が「実は僕は、いつかフォルトゥーニ(父)の展覧会をこの日本で開きたいと思っているんです」と仰っていることなどを読むと胸が熱くなってしまう。

www.mmm-ginza.org

f:id:nijihajimete:20190813220758j:plain

マリアノ・フォルトゥニ・マルサル(父)《アラブの家》制作年不詳/本展にも数点、フォルトゥニ(父)による絵画が出ています。これは特に色遣いが好みだった。


父親はフォルチュニが3歳の時に亡くなってしまったので直接手ほどきを受けたことはないのだろうが、母親も名門芸術一族(!)の出ということもあり、彼が育った環境には良質な芸術が溢れていたようだ。
そんなわけで(本人の努力はもちろんあれど)フォルチュニ自身も絵が上手い。特に驚いたのがこちらの作品で、なんと9歳の頃に手掛けたものだというから、思わず「ピカソかよ」と慄いた。

f:id:nijihajimete:20190813221524j:plain

マリアノ・フォルチュニ 《ヴェネツィアサン・マルコ大聖堂》 1880年/フォルチュニがヴェネツィアへ移り住んだのは18歳の時なので、9歳の頃にも旅行などでヴェネツィアへ行っているのかもしれない。

フォルチュニは、彼が18歳の時に一家でパリからヴェネツィアへ引っ越し、その後生涯を通じてヴェネツィアで過ごす。
ヴェネツィアに行ったことのある人はご存知だと思うが、其処彼処に名画が溢れており、そういったものを目にする機会の多かったであろうフォルチュニは、名画の模写をいくつも遺していた。

f:id:nijihajimete:20190813230039j:plain

ジャンバッティスタ・ティエポロ《無知に対する美徳と高貴の勝利》の部分模写 制作年不詳/ティエポロの描くピンクが好きなのだが、フォルチュニのドレスにもそういった系統のピンクが使われているのは、何らかの影響があったりするのかしら……。

ティエポロなどの模写ももちろん良かったのだが、一番惹かれたのがこの背中の素描。

f:id:nijihajimete:20190813230540j:plain

マリアノ・フォルチュニ《ヌード、背中》制作年不詳 カ・ペーザロ国際近代美術館蔵


他の絵はヴェネツィア派っぽさの感じられるものが多かったのだが、これだけ明らかに異質だった。上手く言えないけれど、この筋肉を描き留めておきたいと思ったフォルチュニの気持ちがダイレクトに伝わってきたというか、こういうものにも彼は興味を引かれるのだなというのが顕著に分かる作品だった。まあ、単に私がこういう筋肉が好きということもあるのですが……。
また、彼がのちにドはまりするオペラにおいても、『パルジファルなどの絵をイメージボード的に数多く遺しているのが印象的だった。

f:id:nijihajimete:20190814185441j:plain

マリアノ・フォルチュニ《リヒャルト・ワーグナーのオペラ『パルジファル』より クンドリ》制作年不詳

総合芸術

ヴェネツィアで絵を描いていたフォルチュニが次に興味を持ったのが、舞台美術と照明だった。
ワーグナーのオペラに感激した彼は、ワーグナーが提唱した「総合芸術」を実現すべく、応用電気工学、物理学、光学を研究し、自作の舞台装置の縮小模型を使っていろいろな実験をした。

──と、サラリと書くと「ふーん」で終わってしまいそうだが、いや、オペラを見て感激し、そっち方面の専門家でもないのに理想の舞台装置を作るために模型を自作して照明の実験をするという行動力。凄すぎませんか? 私はこの説明を読んで、弱虫ペダルにはまって自転車を始め、わずか1年で東京ヒルクライムで優勝した主婦の存在を思い出した。

彼は思考錯誤の末、「クーポラ」と呼ばれる半球型のステージ・セットに、拡散光と間接照明を組み合わせた独自の照明装置を設えることを考案。
この革新的な舞台装置は見事ヨーロッパ各地の主要な劇場で使われるようになるんだけど、これ、普通に現代でも使われてる装置では? フェスとかで見かけるステージでは……? と思ってしまった。下の写真を見るとおわかりいただけるかと思うのですが、特に左側、照明装置がついてる半球型のステージって現代のフェスでも見かけませんか……? うーん、この人が起源だったとは。

f:id:nijihajimete:20190813232727j:plain

写真アルバム《テスピスの車》1929年/フォルチュニは写真も自分で撮って、ジャンルごとにアーカイブまでしてしまう人なので、本展にあるほとんどの写真資料は彼本人のものなのです。一人何役もこなしている。


そしてこの舞台装置にてフォルチュニは照明の遠隔操作を生み出すのだけれど、その構想となる図も残っており、なんというかもう、専門職と見紛うばかりのガチの理系といったさまであった。
ちなみにフォルチュニは色温度を変えることで夜と日中の光を表現できることを考案し、舞台照明に実装した人でもあります。恐れ入りました。

f:id:nijihajimete:20190813233348j:plain

マリアノ・フォルチュニ《パリ、ベアルン伯爵夫人 私設劇場のための遠隔操作舞台照明装置の構想》/全く分からないけど、配電盤の図みたいなもの?

 

布、服、そして工場

フォルチュニの「ガチの理系」的才能は他の場面でも発揮される。それが工場だ。

f:id:nijihajimete:20190814112709j:plain

機械の設計図

 

メインビジュアルのとおり、彼は「デルフォス」と呼ばれる細かいプリーツで構成されたドレスを作る。言わずもがな、プリーツという技術を発明したのもこの人である。ちなみに染色にも長けていた彼は、ベルベットにプリントを施してテキスタイルを作る技術も発明している。

f:id:nijihajimete:20190814103152j:plain

マリアノ・フォルチュニ《デルフォス(黒)》1910年 京都服飾文化研究財団蔵

このドレスは女性をコルセットから解放させた画期的なデザインが特徴であり、言うなれば革命であり、ココ・シャネルをはじめ、のちに続くあらゆるデザイナーたちに大きな影響を与えた(ちなみに「デルフォス」という名前は、紀元前5世紀初頭の青銅彫刻《デルフォイの御者》より命名)。

「コルセットもつけない服なんて、はしたない!」などなど当時は批判もあったようだが、高級なシルク(日本産だそうです)を使っていたり、得意先が王族や貴族、セレブリティだったこともあって革新的な服であるというイメージは無事に伝播され、見事このドレスは従来の服の概念を変えることに成功した。

f:id:nijihajimete:20190814104024j:plain

デルフォスは高価なドレスでありながら、このように捩って箱に納めておけるという斬新な収納スタイルにおいても革新的だった。とはいえ家庭で洗えるものではないので、「洗濯の際は箱に納めて買ったお店へ送ってね」という旨のカードが添付されていた。

この「デルフォス」、実物を観ると圧倒的な存在感があるのに限りなく静謐であるというバランスの妙に驚くのだが、実はもう現存するだけの、謂わば絶滅危惧のドレスなのである。

というのも、フォルチュニの死後に彼の奥さんが「もうデルフォスはいいわ」と生産をストップさせてしまったのだ。「デルフォスを見るたびに夫を思い出して辛い」という気持ちだったのだろうか、とにかくその瞬間、この優美なドレスは現存するのみとなってしまった。

とはいえ、「許諾さえおりれば復刻は可能なんでしょ?」と思っていたら、なんと作り方そのものが分からないという。口伝のような形で伝わっていたらしく、もうそれを知る人がいないのだ。

いや、でも、現代の技術を使えば解明できるのでは……? 実はこちらもNOで、現代の技術をもってしても、終ぞデルフォスは復刻できなかったのだそうな。

f:id:nijihajimete:20190814122745j:plain

マリアノ・フォルチュニ《デルフォス(アイボリー)》神戸ファッション美術館蔵 ※部分

このとんでもなくミステリアスなドレスは、ヴェネツィアのジュデッカ島にある工場で作られていた。デルフォスは生産中止となったが、他のフォルチュニ社のものは今もその工場で作られており、100年前と同じ環境で生産が続いているというから驚きだ(エアコンとか無いそうです……)。

先ほど製作工程は口伝と書いたが、それは現在も同じだそうで、なんでもすべての工程を知っているのは工場長のみ、各セクションの職人はあくまでも自分の持ち場の工程しか知らないということだった。何かあったらどうするんだ⁉ と思ってしまうのは野暮なのかもしれないが、作られているものがあまりに美しいため、どこかにバックアップをと願わずにはいられない。

f:id:nijihajimete:20190814123647j:plain

マリアノ・フォルチュニのデザインによる吊りランプ《シェエラザード》/元の作品は劣化が激しかったため展示を控え、代わりにこちらの「展示用複製品」を作ったそう。本展閉幕後、フォルチュニ美術館へ納められるそうです。ランプシェードは布でできており、今なお工場で生産されている。そんなわけでフォルチュニのランプは現在もヴェネツィアにて購入可能。相場は5万円くらいからだそうです。



写真

さて、フォルチュニにはまだまだ成し得た偉業があるのだけれど、言及すべきひとつに写真がある。
彼が愛用していた「No4 パノラム・コダック」というカメラは、140度の画角を持ったカメラで、当時発明されていたほとんどの種類の方法を試せる機種であり、フォルチュニはこれを使って様々な撮影を行っていた。

これまたサラっと書いてしまうと「ふーん」で終わってしまうのだが、「当時発明されたほとんどの種類の方式」というのは、(もはやデジタルが主流となった今では考えられないかもしれないけれど)卵を塗った紙にプリントする写真や、銀塩を塗った紙にプリントする写真や、最近再び注目されるようになった35ミリのカラー写真までといった、およそ150年強分のあらゆる写真技術を指す。
つまりフォルチュニは、その約150年分の写真技術を実践していたということだ。これは本人も勿論すごいし、それをこなせる財力があるという面においても、ものすごいことだと思う。

f:id:nijihajimete:20190814130348j:plain

マリアノ・フォルチュニによる写真。本展の特設サイトにはフォトギャラリーがあり、SNSやブログに拝借できる写真が揃っている。こちらはフォトギャラリーから拝借したものです。(リンクはこのエントリの下記に記載)


しかし本当に驚いたのはそこではなく、日常を切り取ったスナップショット、特に雲の写真が現代人の感覚に酷似しているということだった。
元祖「#イマソラ」の人とでもいうべきか、風景を撮るぞと意気込んでいるわけではなく、スマホをポケットから取り出して撮影してSNSにアップしたような身軽さで撮っている。

f:id:nijihajimete:20190814130525j:plain

マリアノ・フォルチュニ《雲の習作、パリ》1905年・《雲の習作、ヴェネツィア》1915年

マリアノ・フォルチュニ展には優れたドレスや照明器具など、目玉となるものは山ほどあるのだが、私はこの雲の写真にすっかり打ちのめされてしまった。
そこでふと、展覧会のキャッチコピーを思い出す。

「100年たっても、新しい。」

彼が生み出した「デルフォス」という名の優美なドレス。垂直に流れ落ちてゆったりと波紋を広げる静かな滝のようなこのドレスは、確かに100年経っても色褪せることがない。しかし、それだけではないのではないか? 舞台装置も、写真作品も、十分現代に通用する。フォルチュニは過去の人ではない。今なお並行してそのセンスや技術は生きているのではないだろうか。

この人がそこまで一般的に有名でないのは、もしかしたらあまりにも多様に活躍しすぎているからかもしれない。どこか一つを切り取って、「〇〇の人です」と言いきってしまうのがあまりにも難しいからではないだろうか? なにしろ彼は「20世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチと呼ばれていたのだから。
そう考えると本展が「この規模で回顧展を行うのははじめて」というのも頷けた。

f:id:nijihajimete:20190814131412j:plain

会場には着物はもちろん、フォルチュニが着物をベースにデザインしたコートや、紋帖、型紙、浮世絵が並ぶ。手前は家紋帖『紋ちくさ』。

日本との関りがありつつも、日本を訪れることがなかったフォルチュニ。没後ちょうど70年経った今、はるか東の島国でデルフォスをはじめ、あらゆる作品が人々を魅了していると知ったら彼はどんな風に思うだろう? もし生きていたら、きっと懐からスマートフォンを取り出して会場風景を撮ったにちがいない。

そして誰もが驚くようなかたちで、撮影したものを見せてくれるのだろう。

 マリアノ・フォルチュニ。これからはライブに行ったり舞台を観るたび、プリーツのスカートを履くたびに、あなたの仕事を思い出すことになりそうです。

展覧会概要

「マリアノ・フォルチュニ 織りなすデザイン」

mimt.jp

美しい写真が並ぶ公式フォトギャラリーはこちら→

 8/12~16まで三菱一号館美術館ではナイトミュージアムを開催中。
先日友人と行ってきましたが、落ち着いて鑑賞出来て大満足でした。
なんとヴェネツィアンマスクを着けて記念撮影ができるというイベントも。
さらにはボーダーシャツで行くと「ゴンドリエール割」としてチケットが200円引きになります!

【関連記事】

ファッションに疎い人間(私)が手に汗握ったドキュメンタリーがこちら。
展覧会やファッションのイベントの裏側で何が行われているかが分かります。

nijihajimete.hatenablog.com