大手町の三井ホールにて、「巨大映像で見る五大絵師」を見た。
文字通り有名な五人の絵師の作品が巨大映像になっているというもので、葛飾北斎、歌川広重、俵屋宗達、尾形光琳、伊藤若冲という錚々たる名前が並ぶ。
当初私は「今はやりの没入型インスタレーションみたいな感じかな」と思っていたが、違った。画面が巨大なので没入しようと思えばできるけれど、どちらかというと「見る」という行為に脳を全振りするような体験だった。
目の前いっぱいにばかでかく現れた絵を、見る。「観る」ではなく、「見る」。それはもうつぶさに「見る」のだ。
先日東京オペラシティのアートギャラリーで開催されていた「ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展」にて、能動的に見るという行為について考えたりしたんだけど、見ているつもりで実は注意深く見ていない事柄に対し、自動的に人が最大限の注意力を発揮するにはきっといくつかやり方があって、そのうちのひとつが「巨大化させて見せる」ことなのだと思う。
巨大化して提示されると、本人は意識しなくても細部まで見る。
それが見慣れたものであっても、知らず知らずのうちにあちこちに視線を這わせて見てしまう。
この展覧会は、そうやってこちらの感覚の蛇口を一気に開いてくるのである。
(ちなみにライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展では、鑑賞者に懐中電灯が渡されるのだが、各々が薄暗い展示室に掲げられた作品を照らし出すことによって、注意力が自動的にそこに集中するように仕掛けられているように感じた)
本展で流れる映像(画像)は、最新のデジタル撮影技術とDTIP(超高品位3次元質感記録処理技術)によって、超高精細デジタルリマスターされた──まあ要は、めちゃくちゃ精細な映像ということなんだけれど、これが浮世絵の和紙のわずかなチリまで見えるわ、絵の具の乗り方や小さな剥落の跡まで確認できるわというすごい代物だった。
浮世絵は北斎の「冨嶽三十六景」と、広重の「東海道五十三」が出ており、これらは特別な摺が施されているわけではないのだが、今後雲母が引かれていたり、空摺りのある作品がラインアップされたとしたら、そういうものもがっつり確認できるのだろう。
さて、上記の内容を読んで「デジタルアートだから、本物を見るというわけじゃないんでしょ?」と思う方もいるかもしれない。たしかに巨大画面に映された映像を見るというものなので、紙に描かれているものをそのまま見るのとはわけが違う。
しかし先にも書いたように、これはそういういつもの「鑑賞」とは別のところにある展覧会だ。「観る」ことに慣れた人が「見る」とは何だったかを再認識する鑑賞体験であり、「観る」ことをこれから始める人に「見る」の凄みを伝える鑑賞体験でもあると思っている。
私はどちらかと言えば「観る」に慣れてきた側の人間だけれど、今回、「観てはいたつもりだったけど、見ていなかったんだなあ」と痛感した。
その最たるものが、『源氏物語関屋澪標図屏風』である。
いとも雅な六曲一双のこの屏風は俵屋宗達による作品で、静嘉堂文庫美術館所蔵の国宝だ。宗達といえば初代《風神雷神図屛風》の人だけれど、こちらはうって変わって繊細な印象である。
この作品、静嘉堂文庫美術館では何度か観ているし、現在三菱一号館美術館で開催中の「三菱の至宝展」にも出品されているのだが、それにもかかわらず、まるで初めて見るかのような気持ちにさせられた。
いや、毎度じっくり見ていたはずなのだ。それも1度や2度じゃない。
まあ、ついつい橋の傾斜だったり、鳥居を境にいきなり人が小さくなるところに目が行ってしまうのだけれど、それでもちゃんと見てきたはずだった。国宝だし。
にもかかわらず、こーんなかわいいお米粒みたいな顔の人たちを全く見ていなかったことに衝撃を受けた。
見ているつもりで、見ていなかった。
つまり、その作品をきちんと味わっていなかったのだと思い知った。
巨大映像で見なかったら、一生気づかなかったかもしれない。このお米たちに。
(ちなみに三菱一号館美術館は同じ丸の内エリアにあるので、ぜひ実物も見てみてほしいです!)
そんな感じで横っ面を叩かれた私は開眼し、「見る」に勤しんだ。というか、ばんばん目の前に迫りくる作品を気づいたら必死で追っていた。
光琳の《菊図屏風》の花弁が一律の濃度でないことを知った(ふぐ刺しみたいな花弁もある)。
北斎の冨嶽三十六景《東海道金谷ノ不二》、人々の髪の毛1本1本まで描かれており、一体彫師や摺師はどんなスキルを持った人たちだったのかと驚愕した。北斎、板数が少ないことで知られているが、決してシンプルなわけではないのだ。
《神奈川沖浪裏》は押し送り船のつくりをしっかり見ることができたし、波濤はもちろん、水しぶきがかなり執拗に描かれていることにも気づけた。
広重の《東海道五拾三次 日本橋 朝之景》、江戸百景とは異なり、五拾三次は人々の仕草が魅力なのでついそちらに目が行っていたが、橋や門の描きこみ、火の見櫓(?)もしっかりあって、やっぱ広重(または彼のチームであった初摺の彫師)は相当ドボク好きだよね。
逆に超絶な描写で知られる若冲は、みっちりじっくり描いているように見えて、結構随所に勢いがあることもわかった。水墨以外でも、「溜めて描く」と「走らせる」をかなり使い分けてやっている。
ちなみに《風神雷神図屛風》では宗達作と光琳作の比較ができるようになっており、子細に眺めると容貌や雲の描き方のほか、両者視線の先がそれぞれ違うということもわかる。
五大絵師は良い具合にジャンルがばらけているので、いろいろなタイプの日本美術を楽しむことができるが、巨大画面で見るならば、やはり洛中洛外図や合戦図のような群衆を描いたものが面白い。
本展は五大絵師と言いつつ狩野派の絵師1名、そして作者不詳のものが3作扱われているのだが、これらがまさに群衆を描いた屏風絵で、中でも岡田美術館所蔵の《平家物語図屏風》(作者不詳)は絶対にこの企画にドンピシャだと思っている。
残念ながらこの日はプログラムが異なるため観ることはかなわなかったのだが(プログラムによって上映作品が変わる)、まーいろんな人物が仔細に描かれていて面白い。合戦図も入っているので、画面のそこかしこでバイオレンスが繰り広げられているが、すやり霞も特殊だし、これこそかぶりつきで観たい作品である。
これだけで30分くらい行ける気がする。それくらい隅々まで見どころ満載の屏風だ。
そんなわけで、かなり偏った感想を書いてしまったけれど、他にも本展を見に行った方がブログに記事を上げていたので、全体的な情報が知りたい方はそちらをご参照ください……。青い日記帳のTakさんのブログはとてもわかりやすくてお勧め。
上にも書いたけれど、この展覧会はプログラムがA,Bと2つに分かれており、日によって上映作品が違うので、ホームページで気になる作品をチェックしてから来館されたし。もちろん両方鑑賞するのも良いと思います。それぞれバランス良く名品が振り分けられている。
繰り返しになるが、自分は(目の前の作品を)見ているようで見ていなかったんだな、というのを痛感した展覧会だった。なんだろう、巨大画面で「見る力」を鍛える夏の短期講習とでも言おうか。もちろん映像を見る前に絵の見どころレクチャーもあるので、日本美術にあまり触れたことがない方でも問題なく楽しめるつくりになっている。
実際これを観た後にトーハクに行って、結構目の動かし方が変わったように思えた。滅多にない機会なので、気になる方は、まずはホームページをチェックしてみてください。プログラムを見るとわかるけど、かなり大量(ほんとに)の作品が見られますよ。
■展覧会概要
巨大映像で迫る五大絵師 ─北斎・広重・宗達・光琳・若冲の世界─
会期 2021年7月16日(金) ~ 9月9日(木)
会場 大手町三井ホール (東京都千代田区大手町1-2-1 Otemachi One 3F)
時間 10:30〜19:30(最終入館は閉館の60分前まで)
公式ホームページ https://faaj.art/2021tokyo/