雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

春への義理立て

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半期振り返りその2。
誰だったか忘れてしまったが、春を満喫したことに対して「春への義理を果たした」と言っている人がいて、それに倣っていつの頃からか桜をしっかり見届けることを「春への義理立て」と呼ぶようになった。
自分が桜の頃に生まれたということもあり、春に対しては、なんとなく思い入れが強い。

以前は誕生日に京都に行けば満開の桜を見ることができたのだが、最近は開花が早くなり、その頃に見られるのは御室のみになってしまった。

そんなわけで、今は3月になると落ち着かなくなる。

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「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」とはよく言ったもので、桜がいつ咲くのか気になって落ち着かないし、咲いたら咲いたで散るのが気になって落ち着かないという心持になる。蕾がふくらみはじめるともうダメで、そんなに急がないで、もっとゆっくりでいいのにとそわそわしてしまう。

それもこれも、春が好きすぎるからいけない。
春の持つ、そのどれもが私を振り回す。

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人の世の春は浮ついていて騒がしく、妙にはしゃいだり、おかしなことをやったりするのが増えるから嫌いだけれど(新年度の仕事も面倒くさくて嫌い)、季節としての春は大好き。秋も捨てがたいが、身体がひとつ軽くなるような春がやはり好きだ。

しかし今年はなんとなく「春のスイッチが入らない」というか、桜のつぼみが目立ち始めてもソワソワもしないし、花が咲いているのを見てもあまり心が揺さぶられなかった。

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季節と自分の感覚が一致しない。
こんな状態のまま桜が終わってしまうのは嫌だなと落ち込んでいたのだが、渡辺省亭展の帰りに上野の夜桜を見た瞬間、やっと季節がぐんぐん自分の中に入ってくるのを感じた。

歯車がかみ合うと、目の前の景色が感情や感覚と直結して、一気に春に飲み込まれた。
春だ。春がここにいる。もっときちんと見つめなきゃ。そうでないと春はあっさりいなくなってしまうから。

人が生きているうちに春と会える回数は、限られているのだから。

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しかし、返す返すも思うのは、季節と自分の感覚との間にズレが生じたことの気持ち悪さだ。
社会人になったあたりから「1年があっという間に過ぎる」の「あっという間」のスピードが年を経るごとに早くなっているけれど、それでも季節と自分の感覚はリンクしていた。
しかしそこがズレてしまうと、どんどん感覚が欠落していくような感じがして、なんとも言えない心地の悪さがあった。

たぶんこれはコロナ禍のせいではなくて、自分を取り巻く仕事だったり日常が原因だったのだと思うけれど、うーん、来年はストンと春を受け入れたいなあと思うばかりだ。

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春以外の季節も、それぞれ盛りの時がある。
それらは本当に美しいのだけれど、どれも一瞬で過ぎ去ってしまう。
だからなるべく季節と感覚がずれないようにチューニングして、その一瞬を見逃さないようにしたい。

先にも書いたけれど、人間がそういったものに出会える回数は、限られているのだから。

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