雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

海に通うはなし

昨年に撮った写真を探すために Instagram を遡っていたら、この9か月の間に見たいろいろな景色が思い起こされた。
いろいろな、と言っても遠出した先で見たものではなく、ほぼ家と地元、そして都内の風景である。

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目下コロナ禍真っ最中であるためメリハリもなく、例年以上に「パっとしないまま日々が高速で過ぎてゆく」わけだが、なかなかどうして悪くない風景を見ている。
そりゃこんな時世じゃなかったら、遠くに行ったり、みんなで食事を囲んだ写真もあっただろうけれど、並ぶ写真を見て「有限の中で無限を楽しむ」というのはこういうことなのかもしれないな、と思ったりした。

そんなわけで衝動的に半期を振り返りたくなったので、いくつかの写真を見て思い出してみようと思う。今年はちゃんとブログを書こうと誓っておきながら、ぜんぜん書いてなかったし。

海に通った

Instagramを見ると、海の写真が結構ある。TwitterにはInstagram以上に海の写真を載せている。

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そうなのだ。昨年から近くの海によく行くようになった。
それほど綺麗な海ではないけれど、潮干狩りなんかもやれる海である。

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昨年、十数年ぶりに海に行って、いきなり見たのがこの巨大な雲だった


海に通う理由はいくつかあるが、そのひとつが「匂いを嗅ぐ」というものだ。
人のいない海へ行き、マスクを外して、息を吸い込む。
湿った潮の香りが鼻腔に広がり、なんとも言えない切ない気持ちになる。

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私はそこそこ重い花粉症を患っており、加えて冬は風邪予防で日々積極的にマスクをつけていたので、コロナ禍においてマスクを日常的に着用することになってもさほど抵抗は感じなかった。

しかし昨年、久しぶりに潮風を吸い込んだとき、「風ってこんなに匂いがするものだったのか」と驚いた。

潮の香りだけじゃない、草木の香り、土の香り、雨の香り、太陽の香り。
あらゆる貴重な日々の香りを自ら遮断していることに気がつき、愕然とした。

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以来、周囲に人がいないのを確認しては、そっとマスクを外して外気の匂いを楽しむようにしている。
とりわけ夜の匂いはなかなかのもので、マスクを外した瞬間、結界を解いたような勢いで、静かな闇の匂いが鼻から脳に抜けるのだ(こうしてみると、マスクをしているからこそ、匂いに敏感になっているようにも思える)。

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閑話休題
やや脱線してしまったが、匂いのほかに「空を見渡せる」というのも海へ通う理由である。私はとにかく視界の開けた場所が好きで、そこに一人ぽつんと佇むことに言いようのない居心地の良さを感じる。

さびしくて、静かで、煩わしさのない心地よい孤独。
そういうものを定期的に摂取するために、私はこの先も海へ通うのだろう。

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そういえば今年は、久しぶりに茅ヶ崎の海を見た。
「サザンビーチ」という異名を持つだけあって、さすがの貫禄である。
とはいえ、全体がいかにもサーファーの聖地然としているわけではなく、平塚方面に進めば鄙びた雰囲気なんかも併せ持っており、籬に昼顔が絡まっている様子などはとても風情があった。

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迫力のある、茅ヶ崎の海

 

茅ヶ崎、良いな。通勤とかそういうものに縛られないのであれば、茅ヶ崎に住んでみたい。でも、自転車錆びちゃうかしら。
そんな憧れを抱きつつ、下半期もまた地元の海に通うのだろうなと思っている。

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