雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

ホテルニューアカオの最後を見に行った

※これを書いた時点では、ホテルニューアカオ館が今後も活用されるとは発表されていなかったため、このようなエントリになっております。現在ホテルニューアカオ館は、アートイベント等で使われています。宿泊営業は終了しています。

 

先日Twitterで、熱海の「ホテルニューアカオ」が閉館したこと、そしてそこを使ってアートイベントが行われていることを知った。

子どもの頃、夏は熱海か勿来に隔年で家族旅行をしていたので、アカオの存在自体はその時分から知っており、熱海に行くたびに「大きなホテルだなあ」と思っていたし、大人になってからはMOA美術館に行くたびに「いつか泊まってみようか」などと思っていた。

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そのアカオが、営業を終了した。
ついぞ泊まることなく終わってしまったという気持ちと同時に、Twitterでみたアカオの内装に度肝を抜かれた。

なんだこれは?
ニューアカオって、こんなに嘘みたいに華やかな場所だったの?

うわあ、失敗したなあと項垂れる。「いつか」や「そのうち」が手遅れとなり、悔やむことが今まで散々あったのに、またやってしまった。

しかし今回はありがたいことに、まだこの空間に入ることができるという。
行かないという選択肢はない。
そんなわけで、熱海へ行くことにした。

調べたところ、このイベントは「ATAMI ART GRANT」というそうで、PROJECT ATAMIという「熱海の魅力をアートにより再発見し、目にみえる形にする」ための活動の一環らしい。
アカオの現在のオーナーが寺田倉庫の元社長ということもあってか、最近熱海はアートに力を入れているとのことだった(ちなみに本イベントは11月16日から開催されていたそうな)。

projectatami.com

すでにSNSではアカオ関連のツイートがたくさん見受けられたので、晴れて気候も良い土曜日、これは混むかなあと思ったら案の定混んでいた。

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熱海駅のロータリー、「レストランフルヤ」の前あたりにアカオの送迎バスは止まる。宿泊客のためのバスだが、今回アートを見る人も乗せてもらえる。
10時から14時までは毎時00分、20分、40分と20分おきに運行され、乗車時間はおよそ15分。この日はバス待ちの列ができており、1本見送っての乗車となった。受付をスムーズに行うためにバスの中で受付用紙が配られ、記入する。

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▲アカオの送迎バス

私が乗ったバスにはロイヤルウイングの宿泊客はおらず、全員がアートイベント目的の客だった。いや、客という言い方がこれに相応しいかは少し微妙なところである。というのもこのイベントは無料だからだ。

コロナの影響と老朽化で営業が難しくなって閉館ということなのだが、送迎バスに積み残しが発生するほど人が来ているにもかかわらず、直接の利益になっていないという皮肉。それでもバスの運転手は紳士的に我々を目的地まで運んでくれる。なんだか居たたまれなくなってしまった。
(※ACAO SPA &RESORTには「ニューアカオ」と「ロイヤルウイング」があり、ロイヤルウイングは今も営業しています)

余談だが、熱海駅からアカオまでの道のりはとても風光明媚である。
熱海銀座を抜けると光る海が眼前に広がる。そこから海を横目に高台へ登っていく様子は、この観光地ならではだろう。

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▲バスを降りたところに広がる光景

バスが到着したのはロイヤルウイングのエントランスで、こちらで検温、消毒、受付を済ませる。受付待ちの列はできていたものの、15分程度で入館できた。

中に入るといくつかの作品が展示されていた。ロイヤルウイングのチェックインエリアに続くこの回廊は「ACAO LOBBY MUSEUM」というギャラリースペースだそうで、現代アート作品を展示・鑑賞・販売しているらしい。

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▲ACAO LOBBY MUSEUM

 

SNSで見たのとはずいぶん印象が違うなあ……と思いながら回廊を抜けて階段を降り、右手に海を臨みながらさらに進んだところ、突然雰囲気が変わった。

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思わず「うわ」と声が出る。私の後ろから来た人も、「うわ」と声を上げていた。
そりゃそうだろう。我々が足を踏み入れたのは、ぐるりと海を見下ろすように空に浮かんだダンスホールだ。いきなりフルスロットルでやられたら声も出る。

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▲保良 雄《Fruting body》

SNSで散々この場所の写真を見ていたので、どういう内装なのかわかっていたつもりだったのに、実際自分でこの空間を体験すると迫力がまるで違う。「非日常」という言葉はここのためにあるのではないか? そんなことを本気で思ってしまうくらい圧倒的だ。

「これは失いたくないなあ」
初っ端からこんなもの見せられたら、そう思わずにはいられない。それくらいすごい。

ここはこんなにも明るくて、空も海も果てしなく青く、何もかもが完璧なはずなのに、拭えない寂しさがうっすらと漂っているのは「ニューアカオは営業を終了した」という決定的な事実があるからだろう。

一時的な休業ではなく、終了。
ニューアカオはもう、ここにはいないのだ。

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さて、このアートイベントは通常のそれとは少し趣が異なっており、配布されるガイドブックを片手に脱出ゲーム(ウォークラリー?)のようにして館内を回る。

本来ならばエレベーターを駆使して順繰りに進むのだが、エレベーターが混雑しており、目的の階で降り損ねた瞬間、私はガイドブック通りに進むのを断念した。(※元のフロアに戻ってやり直すのがめちゃくちゃ億劫になるくらいエレベーターが混んでいる)

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▲エレベーターは全部で4基あるのだが、私が行ったときは2基しか稼働していなかった。後日来場者数を鑑み、残り2基も動かしたらしい。

というわけで、ダンスホールに続いて進んだのがこの場所だった。
アカオの大きな見どころといえば、やはりメインダイニング「錦」だろう。
扇状に広がる部屋は海に面しており、ステージがあって、ショーも楽しめる。

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まだ栄華を誇っていた頃の、人が滞在していた頃の、在りし日の華やいだ気配がそこかしこに漂っている。

アカオは終わってしまった。
終わってしまったけれど、落ちぶれることなく、今なお気品に満ちるこの様子を、一体なんと表現したらいいのだろう。

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穏やかな寂しさをうっすらと湛えながら、それでも優雅に君臨する女王のような空間。

私はもう、なんだか切なくなってちょっと立ち上がれなくなってしまって、薄暗いボックス席に背を沈めながら、ぼんやりと窓辺に据えられたテーブル席を眺めていた。

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▲小松千倫《Endless Summer, 2021》流木によるドリームキャッチャーと映像によるドローイングに加え、サウンドで構成されたインスタレーション

たぶん自分は、この気持ちを味わうためにここに来たのだろう。
しっくりくる言葉が見つからないから、せめて体験として自分の中に刻んでおこうと足を運んだのだろう。

ぼんやりしながら、1年前に見た冨安由真さんの個展のことを思い出していた。
あの展覧会で感じたことを、まさか1年後、本当に味わうことになろうとは。

nijihajimete.hatenablog.com

このままだと永遠にここにいてしまいそうなので、断腸の思いで腰を上げる。
なんせこのホテルは17階まであるのだ。
エレベーターもすぐには捕まらないし、定員オーバーで乗りきれないなんてこともあるため、感傷に浸りつつもある程度サクサク動かないといけない。

ちなみに他の人の話によると非常階段でも移動できるそうなので、このイベントが意図する情緒は少し減るかもしれないが(そもそも満員のエレベーターに情緒があるかと聞かれたら微妙ではある)、その方がスムーズだしガイドブック通りに進めると思う。

後々アカオを訪れた人々のツイートを見たところ、私が見落とした部屋があったようだが、それがガイドブックに記載されていた本イベントに関した部屋なのか、単に鍵が閉まっていなかっただけの部屋なのかわからない。

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▲このように(左手)立ち入り禁止テープが張られているのは稀で、リネン室などは開けようと思えば開けられてしまう感じで、ちょっとハラハラした。

というのも、展示エリアとそうでないエリアの線引きがとても曖昧で、「ここは入ってしまって良いのかしら」と思しきエリアにも展示があったりしたからだ。

とは言え、さすがにこの先はダメなのでは……? という場所にも、然したる結界が置かれていないため、中に入っている人が結構いた。後日これらは改善されたらしいが、展示エリアの客室にも飲み終わったばかりの湯呑がそのまま置いてあったりして、「演出なのか片づけ忘れなのかわからない」ということもあり……なんとも不思議な会場であった。

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▲演出なのかわからない湯呑とティーバッグ。この部屋は浴室の石鹸も使いかけだった。

さて、ニューアカオは箱としての力があまりにも強いため、ついそちらに目が行ってしまう。

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▲もうこういう景色が次から次へと現れるので忙しい。
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よって空間に圧され気味な作品もあったが、インペリアルスイートの茶室などはユーモアもあって面白かった。

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▲こちらのホテルのインペリアルスイートはメゾネットタイプで、階段を上った先に和室と茶室がある。

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展示作品の中にはキャプションをしっかり読まないと内容を咀嚼しにくいものもあったが、広間(錦松の間)での映像などは、ここでの気分にとてもしっくりくる内容だった。

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▲Soshi Nakamura 《回帰,2021》 ガイドブックにもサイトに作家のフルネームの漢字表記が見当たらなかったので、ガイドブックの表記にて

逆に全くわからなかったのがこの展示で、未だに解読できていない。たぬき暗号みたいな感じなのかしら。

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そのほか、屋内プールや公開されている客室などを回る。

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▲渡邊慎二郎《靡く植物, 2021》


あらかた回り終え、だいぶ日も傾いてきたところで、もう一度見納めとしてダンスホールに寄った。

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ちょうど西日が強く射し込んでいて、部屋全体が発光しているかのようだった。
奇跡的に人の波が途切れ、静寂の中、空間と対峙する。

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よく手入れされた、美しい姿だ。
朽ちていないことが、ある日突然、ここにいた人々だけが「ふ」っと消えてしまったかのような奇妙な静寂を際立たせる。

しばらく自分の中を探ってみたが、この心持ちを的確に表現する言葉はやはり見つからなくて、なんとも言えないまま二度と足を踏み入れることがないであろうこの場所に別れを告げた。


いよいよここでの時間も終わりが近い。優雅な装飾を施された階段を上り、最後のフロアへ向かう。

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現れたのは、立派なシャンデリアが眩く灯る華やかな場所だった。土産物を扱う売店があり、そこには記念写真も飾られている(これは花坊さんというアーティストの作品とのこと)。

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海に面した大きな窓にはソファが設えられていて、数人がそこに腰かけ、何をするでもなくぼんやりとしていた。
私もそうしようかと思ったところで、どこからともなく軽妙な歌声が聴こえてきた。見れば窓辺に設置されたモニターから、アカオをバックに歌う二人の女性の映像が流れている。

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チャラン・ポ・ランタンの映像作品

今日でおしまいさ この遊園地
別れを惜しんで 客押し寄せて
今まで見向きもしなかったのに
この日だけは昔のように


それは、チャラン・ポ・ランタンの「さよなら遊園地」という歌だった。
窓の外の、淡い薔薇色の空を眺めながら歌を聴く。
最後の最後で、なんつーキュレーションだ。
ニューアカオは「今まで見向きもされなかった」わけではないだろうが、なんだかもう胸が痛くてたまらない気持ちになってしまって、しばらく動くことができなかった。

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昭和という時代は呪いのようなものをたくさん生み出したりもしたけれど、その一方で現在では真似のできない独特な華やかさを持つ文化も生み出している。災害による破損や老朽化はどうしようもないけれど、それでも黒川紀章のカプセルタワー然り、どうにかならんもんかなと無責任にも思ってしまう。

「どうにかならんもんかな」と思いながらフロアを盤桓して海を眺め、そろそろ時間だとバスに乗った。

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バスの運転手は行きと同じ壮年の男性で、帰りも紳士的に我々を駅まで送り届けてくれた。
駅周辺の物産で、貝ひもやら出汁塩やら練り物やら買いこみ、東京行の電車に乗る。

──本当に、どうにかならんもんかな。

ボックス席に座り、少し目を閉じて、それから海の方を眺める。
外はもう真っ暗で、さっきまでのことがすべて夢のようだった。

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※「ATAMI ART GRANT」のホテルニューアカオでのアートイベントは、好評により12月20日まで会期が延長したそうです。