雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

この世が肌に合っていない人が観た「ムンク展」

もうずいぶんと前から、この世が肌に合っていないのを痛烈に感じている。

例えるなら「居心地の悪い飲み会にずっと居るような、早く帰りたくてたまらないような」気持ち

家で一人で蕎麦とか食べてるときは良いんだけど、いざ自分が社会の中に放り込まれると途方もなく「何故、我ここに身をば置く」と思って重力に負けそうになってしまうのだ。

そんなもんだから「ムンク展が開催されるぞー!」と聞いたときは、あの徹頭徹尾不運だったムンクは、代表作以外をどんなふうに描いたんかな? とちょっと楽しみだった。彼はきっと、この世が肌に合っていないタイプの人間だと思ったからだ。

しかし実際展覧会に行ってみると、ムンクは完全にこの世に絶望しているわけではなさそうだった。

強いて言うなら、陰キャだった。

※記事中の会場写真は美術館に許可を得て撮影したものです。

 

不憫だけど鬱ではない(気がする)

そうなのだ。ムンク陰キャなだけで、根っこから鬱々とはしていない気がする。

もちろん幼いころから立て続けに愛する身内が亡くなるなど、耐えがたい悲しみや不運に苛まれてきたのは本当だ。
恋人から向けられた銃が暴発して指が吹っ飛ぶとか、まあ、普通に生きてたら無いわな……みたいなことを経験しているし、最期もナチスによる爆撃で家の窓が吹っ飛び、寒さに気管支炎が悪化して亡くなるという「出来すぎでは?」レベルの不幸で幕を閉じている。

もちろんアル中不眠メンタル低下のトリプルコンボは体験済み、挙句高血圧で右目の血管が切れて失明寸前など、ちょっとやそっとの不幸自慢じゃ太刀打ちできないエピソードを持っている。

しかしですよ。
ムンクは結構人生を楽しんでいた感があるのだ。
事実大変な目に遭いまくっているのだけれど、どうも彼の作品からは「この世が性に合わない」という居心地の悪さは全く感じない。むしろ「自分はこういうキャラだ」と不憫の王道をズンズン歩いている感じすらした。

そのせいだろうか。
ムンクの絵は、それはそれは素晴らしかったのです。

 

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《星月夜》 1922-24 油彩、カンヴァス

 

微かにひそむロマンティシズムと生命力

ムンク展に行った人と話していて感じたのが、あの展覧会を観て「重かった」という人と、「思ったより明るかった」という人に分かれるということだ。
私は無論後者なのですが、それは私自身が暗い人間だからだと思う。

確かに序盤の、身内が亡くなっていくくだりは重い。
目の前で愛おしい人たちが衰弱していくのを、自分にはどうすることもできないと歯がゆい思いで寄り添うしかできない悲しみ。《死せる母とその子》はもう単純に怖い絵だし、《病める子》シリーズは悲壮でしかない。
しかしながらこの《病める子》シリーズは、色を変えて作品の印象を違ったものにするなど、実験的な要素も含んでいる。
そういったところから、単に悲しむだけでなく、どうせならこの悲しみを自分の中で肥大させてやろう。肥大させ、大きな化け物にしてやろうくらいの「転んでもただは起きない」系のハングリー精神が垣間見える気がするのだ。

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《病める子 Ⅰ》 1896年 リトグラフ

この辺りからムンクがどんなに暗いテーマの絵を描いても、どこかで「この体験すら芸の肥やしにしてやる」という気迫のようなものを持っていたんじゃないかと思うようになった。
また、彼は怨讐だったり、オカルティズムを感じるような作品にも、かならずロマンティックな面を見せた。
それは薄暗く寂しい海辺であっても海水に足を浸せばほの温かいような、暗くて冷たい森の中でも上を見上げれば木々の間から美しい星が見えるような、そういった微かなロマンティシズムだ。

私はそれを見て、「ああ、この人は心底絶望しているわけでも、心底病んでいるわけでもないんだな」と感じた。
ゴッホを観たときは、いわゆる耳切り事件の前の絵から「この人は思い詰めやすいタイプっぽいなあ」と思うことがあったのだけれど、ムンクはそれが一切ない。

まあ、アル中になったり幻覚に悩んだらしいけど、少なくとも自殺を選ぶタイプじゃなさそうだ。

なんというか、先にも述べたように彼にはある種の生命力を感じた。
《叫び》も、その隣にあった《絶望》も、たぶん分かっていてやってる。

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《絶望》 1894年 油彩、カンヴァス  (《叫び》より《絶望》のほうが好きだった)


これは大塚国際美術館でのツアーガイドで聞いた話だけれど、《叫び》には「こんな絵は狂気を持った者にしか描けない」という、自虐的なメッセージが添えられているそうだ。(※現存する《叫び》の肉筆は全部で4バージョンあり、今回来日している《叫び》ではない別のバージョンに書かれている)

それはおそらく、客観的に自分が見えている証拠なのだと思う。
《叫び》も《絶望》も、雲は画家が言うところの「本当の血のよう」な色で塗りこめられている。
しかしどうだろう? その色はとても調和がとれていて、美しさすら感じられたのだ。

 

繰り返されるモティーフと自画像

《叫び》が肉筆だけでも4つのバージョンを持っていると上に書いたが、ムンクの絵には繰り返し同じモティーフが登場する。
それは肉筆で行われることもあるし、版画が用いられることもあった。

そう、版画。
ムンクは版画が滅法良いのです。正直《叫び》よりこっちに感動した。
リトグラフ、木版、エッチングなどなど、様々な技法で版画を作っているのだけれど、まーどれもこれも素晴らしい。

いやもう、《接吻 Ⅳ》なんてかっこよすぎて震えるし、多色刷り木版がずらりと並べられた壁を観るや「ああそうでした、この人は北欧の人なんでした」とその独特の色彩感覚にぶちのめされた。
先に書いた《病める子》もそうだけれど、吉田博みたいに骨の部分はそのままで色彩だけをガラリと変えていったりだとか、とにかくセンスが半端ない。

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ムンク展 会場風景。この一角だけでも観る価値あり。

不憫ではあったけれど、決して売れない画家ではなかったムンク
「こら売れるわ」と、納得の力を見せつけられた。

 

そして繰り返し描くと言えば自画像もそのひとつ。
なんとゴッホレンブラントに並ぶほど自画像をたくさん描いた画家として知られているという。
カメラが小型化されていった時代ということもあり、会場にはムンクの自撮りもたくさん展示されていた。

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《自画像》 1895年 リトグラフ

 

図録の解説を読むと、これらの自画像は「メメント・モリ」を喚起させるものや、疑心暗鬼の現れなど、穏やかでない理由のものが多い。
けれどムンクが完全に病まずに済んだのは、もともと自殺するタイプじゃなさそうというのもあるけれど、精神病院入院中にある程度吹っ切れられたこと、気にかけてくれる人が結構いたこと、そして勲章を授与されたり、国立美術館による買い上げ、コレクターがまとまった数の作品を購入してくれたことが大きく影響しているのだと思う。

人間、確固たるアイデンティティがあると精神は健康になる。
50の大台に乗ってからは、クリスチャニア大学(現オスロ大学)講堂の装飾壁画を制作したり、ドイツの若い画家たちに経済的援助をしたりもするようになるのだ。

どエロいガイドでムンクの画業を辿る

さて、昨今声優さんによる音声ガイドが隆盛を極めている。
こちらとしては展覧会をめぐる楽しみが倍になって嬉しい限りなのだけれど、その中でも東京都美術館で開催される展覧会の音声ガイドは業界屈指のエロさがある。

過去に行われたゴッホゴーギャン」展
これはですね……切なさと歯がゆさとBLCDらしさが絶妙な配分でブレンドされていて、出口手前で灰になったほどだった。

そしてひとつ前の藤田嗣治」展では、今をときめく津田健次郎さんがあまりにも自然な語りで藤田嗣治役を好演。好演っつーか、音声ガイドと絵画のコンボが素晴らしすぎて最後の絵でちょっと泣いた。リピート? もちろんしましたよ。

そして今回。
「じゅんじゅん」こと、福山潤さんですよ。
いやあもう、エロいのなんの、これ大丈夫……? 普通の人びっくりしない? ってくらいの熱演で、《マドンナ》のあたりなんて官能小説かっていうレベル

  かといって鑑賞の邪魔になるでもなく、「悲痛なムンク」→「どんどん闇落ちしていくムンク」→「開き直るムンク」→「いろいろあるけど穏やかになりつつあるおじいちゃんムンクと、画家の心境が良くわかる語りだった。
※あと、展覧会公式キャラクターの「さけびクン」(これは常々なぜ「ムンクん(ムン君)」じゃないのかと思っている)の声も福山さんがあてている。

印象的だったのは、オタクではないフォロワーさんが「音声ガイドが聴きたいからもう1回行こうと思う」と仰っていたことですね。福山潤、すごい。

 

詳しく知ってから行くと楽しさ3倍

実はムンク、もっと濃いエピソードをたくさん持っている。
知識に頼らず感覚で鑑賞するという方法もあるけれど、ムンクはどう考えても画家について知ってから行ったほうが面白いです。
本を読んで知るのもよし、活字を追う時間が無い人はこういったトークショーに参加するもよし。

 

 「なぜ、ムンク展はこんなにも人の心を揺さぶっているのか、そもそもムンクとは何者なのか?!そんなムンク展のみどころは?!」という、どストライクな内容だそう。すでに観に行った方は反芻することもできるし、これから行く人は1時間半でばっちり予習ができてしまう。
なによりナビゲーターが本展担当学芸員小林明子さんと、即重版となった『いちばんやさしい美術鑑賞』の著者でもある「青い日記帳」の中村剛士さんなのでムンクビギナーからムンクエキスパートまで安心して楽しめると思います。

オスロ市立ムンク美術館が改装工事をやるよってことで実現したムンク展。
そうでもなければこんなにまとめて借りることはできないだろうから、これは奇跡的なチャンスなのだと思う(オスロに行けるなら別ですが……)。
《叫び》しか知らないのは本当にもったいない、行ってよかったなと思う展覧会なのでした。

 

概要

会期:~2019年1月20日(日)
休室日:月曜日 ※ただし12/25は休室。その他年末年始等は特設サイトにて
時間:9:30~17:30 ※金曜日は20:00まで
会場:東京都美術館 企画展示室

【公式】ムンク展ー共鳴する魂の叫び