雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

ゆく春。楽しい時間が過ぎてしまう悲しみについて

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春が好きだ。

それも、一年のうちで今の季節が一番好きだ。

毎年、北風の中にときおり角の取れたまるい風が混じるようになると、春がもうすぐやってくるのだとわくわくする。

そして桜の蕾が気になり始めるのだけれど、これがだんだんと膨らんでくるとそわそわしてしまって、開花の情報が流れようものなら「ああ、そんなに急いで春にならなくていいんだよ」と焦ってしまうのだ。

この季節が一年のうちで一番好きだ。
でも、好きすぎるあまり、過ぎ去ってゆくのを恐れてしまう。

 

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昔から「楽しい時間が過ぎてしまうこと」に対して悲しみを感じる性格だった。

映画が始まった途端、まだ始まったばかりだというのに「この物語の幕が開けたということは終わってしまうということなのだ」と悲しくなった。
母と一緒にディズニーランドを訪れるたびに、帰る時間が来ることを思っては悲しい気持ちでアトラクションに乗っていた。

損な性格だと思う。
楽しい時間なんだから思い切り集中して楽しめばいいものを、頭の片隅に常に「終わってしまうこと」への恐怖と悲しみを内包しながら手放しでその瞬間を味わうことができずにいるのだ。
春に対しても同じで、目の前で桜が絢爛豪華に咲いているのに、心のどこかで散ってしまうことを嘆くのをやめられない。もっと100パーセントの状態で「綺麗だ」と感動したいのに、もう長いこと悲しみを追い出せずにいる。

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今年は開花が早かった。加えてその週末は雨の予報だったりしたもんだから、これは4月を待たずに散ってしまうかもしれないなあと落胆していた。
しかしそれほど雨が強く降らなかったり、寒の戻りがあったりして、なんだかんだで2週間くらい桜がもってくれたのだった。

残念なことと言えば盛大に風邪をひいて寝込んでしまったり、厚紙で眼球を黒目まで切って出血し、あわや失明寸前となって遠出ができなかったことだろうか。

それでも今年も見事な桜をたくさん拝むことができた。


六義園の夜桜。
Twitterで満開だとの情報を得て、早速行ったらえらいことになっていた。

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この桜の木が満開の時に訪れたのは初めてだったので、それはそれは驚いた。そして奥にもうひとつ背の高い桜があることも初めて知った。いつも散ったあとに行っていたから、これが桜の木だとは知らなかったのだ。

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こんなに縦に長い桜があるとは。まるで夜になって立ち上がったダイダラボッチみたい。遠くから離れていても(ライトアップされていることを差し引いても)そこだけぽつんと闇に浮かんでいて、本当に神様がいるかのようだった。

 恒例の地元の桜も楽しんだ。
わっと咲いてわっと散ってしまうのに、まさか週をまたいで楽しめるとは思わなかった。

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 東博の庭園の夜桜も、会社の近くの神社の桜も楽しんだ。
どれも見事でしばし見惚れては、立ち去りがたくて時間がたくさん過ぎてしまった。

なにより嬉しかったのが、母がとても春を満喫していたことだった。
わがままな父の相手や家事や介護やらで自分の時間を犠牲にすることの多かった母が、今年の春はたくさんの桜を見に出かけていた。
六義園に行った夜に撮影した写真を見せたところ、「お母さんも明日行ってみようかな」と言って本当に翌日朝から花見に出かけていた。
その後皇居、千鳥ヶ淵とまわって目黒川にも行ったそうだ。
目黒川の桜は初めてだったようで、どこまでも続いていくんじゃないかと心配になって「この辺にしておこう」と引き返したと言っていた。

さらに別の日にはお習字の先生の個展を見るため八重洲に出かけ、桜通りで花吹雪を浴びたことに感動していた。シャワーのように降り注ぐ花弁は、さぞ美しかったことだろう。

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母は今月で70になる。
今までテレビをのんびり見る時間がなかったけれど、最近はミステリからゆるやかな邦画まで、時間を見つけては楽しんでいるらしい。そして今週は大好きな井上陽水のライブに行くという。
母は私と違って楽しい時間を100パーセント楽しむことができる人なので(疲れたら無理せず、冷静にすぐ楽しむのをストップする人でもあるのだけれど)、ぜひ存分に楽しんでほしいと思う。
体力的に一日人込みへ出かけると疲れてしまうと言っていたけれど、今まで家に囚われてしまっていたぶん、好きなことにたくさん時間をつかってほしい。
たくさん、たくさん、時間を使ってほしい。

 

楽しい時間にいつか終わりが来ると思うから悲しくなるのだ。
楽しい時間はずっと続くと思えば、悲しくはならない。

 

春は過ぎてしまうけれど、また来年もやってくる。

さよなら
さよなら
また 来年。

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