雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

「幽霊・妖怪画大全集」 行ってきた 其の壱

@そごう美術館(横浜)

幽霊および妖怪画や地獄絵といった、日本の「怖い絵」が好きです。

あと、怖い話も。
とは言え、普段は怖いのでそういうのとは関わりあいたくないのですが、腹が立つとその度合いに見合った怖い話を読んだり不気味な絵を観たりすることで、マイナスにマイナスを掛けてプラスになるが如く穏やかな気持ちを得るというライフハックを発見したくらいには日ごろから親しんでいます。
で、何だか知らないけど、今年「幽霊」とか「妖怪」、「地獄」関連が元気なんですよ。

そごう美術館のほかに、三井記念美術館横須賀美術館でもやってる。
それぞれとても良い味出してる。
好きなら全部回ってこそ!と思いつつも、なかなか忙しかったりお金なかったり、横須賀美術館いくらなんでも遠すぎだろって思ったり。

で、なぜそごう美術館を選んだかと言いますと、若冲の《付喪神図》が来るからなんです。

f:id:nijihajimete:20180710174131j:plain
伊藤若冲 《付喪神図》

このセンスやばくない? チェコの絵本か!?
手前の窯みたいなげっ歯類っぽいやつの顔とか一回見たら忘れられないんだけど。
いつか会えたらいいな~♡と思っていたら今回来るっていうから迷わず行きました。


ひと味違う幽霊画展


横浜そごうで開催された「幽霊・妖怪画 大全集」という展覧会。 本展には福岡市博物館に所蔵されている吉川観方コレクションを中心に160点ほどの幽霊・妖怪画がやってきているのですが、この吉川観方コレクションを数億ポーンと払って大人買いした中山喜一朗氏(元 福岡市博物館、現 福岡市美術館の学芸課長)が本っ当に幽霊画とか妖怪画を愛している人で、演出力がハンパないのです。

キャプションも笑えるし、見せ方も面白いし、更には「YKI(妖怪)48総選挙」と銘打って幽霊や妖怪を天然系とか暴走系に分け、ユニットまで作って「あなたの推しメンに投票してください!」っていうコーナーを設けたり。展示内容も濃かったけれど、中山さんの仕事を見るという意味でも存分に楽しめました。

で、その中山さんと山下裕二先生(明治学院大学教授)がトークショーやるっていうからもうその日に行かないと! っていうんで行ってきまして、前置きが長くなりましたけど、"其の壱"ではトークショーで聞いた話を幾つか紹介したいと思います。


吉川観方とは?

吉川観方(1984-1979)は京都出身の日本画家であり、風俗研究家。竹内栖鳳などに師事。
また、美術コレクターでもあり、絵画・染織・工芸など12,000点にのぼる風俗関係資料を収集していた。
特に幽霊や妖怪に強く惹かれ、江戸中期から昭和期までの様々な妖怪・幽霊画がコレクションに含まれる────というのがWikipediaに掲載されている観方の説明なんですが、「このwiki、間違ってっから!」という話からトークショーは始まりました。
(→最後の方に”福岡市博物館へ寄贈”ってあるけど、私、貰ってません。買ってますからね! とのこと。)


幽霊の日

トークショーのあった日は、7月27日。奇しくも前日7月26日は”幽霊の日”です。
なぜかと言うと、この日、江戸で初めて中村座によって「四谷怪談」が演じられた日なのです。
歌川国安(豊国の弟子)による四谷怪談の三枚続きになっている浮世絵がこの展覧会に来ていますが、これ、ピラミッド型になっているちょっとおもしろい作りなのですよ!


伝・応挙 《波上白骨座禅図》

今年の春愛知県美術館で行われた「円山応挙展」。
こちらに大乗寺の「波上白骨座禅図」がきていました。ものすごくかっこいい絵なのですが、今回の展覧会にもそっくりの絵が来ています。

f:id:nijihajimete:20180615151850j:plainf:id:nijihajimete:20180615151858j:plain
左:円山応挙 《波上白骨座禅図》 右:伝・円山応挙 《波上白骨座禅図》 
 
左が応挙が描いたとされるもので、右が「伝」応挙の絵。
伝っていうのは「恐らく応挙が描いたであろう」とされているものであって、決定はしていないもの。
このほかに、弟子が描いたのも出品されているんだけど、それはまあ、「違う人が描いたよね」ってわかる……(笑)。
しかしこの二つは本当に似てる。落款とかも「応挙のものだろう」と言われているとのことでした。

で、一応「伝」とはついているものの、もう応挙でいいんじゃね? ってとこまで来ていて、大乗寺の絵は実は下絵で、「伝」がついている方が本番だったんじゃないかな、というのが中山さんの考察。山下先生的にもおそらくそうだろうとのことで、もうキャプションの「伝」取っちゃえばいいのにね、という話になったのだけれど、とりあえず今回は付けておこう……と。

ちなみにこれは「頂相(ちんそう)」なんじゃないかという説が出ています。頂相とは、禅宗のお坊さんの人物画のこと。
洒落のわかるお坊さんが、どうせなら自分を骨で描いてくれと頼んで(もしくは骨で描いてみたら? と提案されて)作らせたものなんじゃなかろうかと。上の空白の部分には賛が入るため、開いているんじゃないかなと言われています。


日本で最初に単体の幽霊を描いたのは円山応挙

これがその日本初といわれる単体幽霊画であり、「美人幽霊」の概念を打ち出したのもこの絵。

f:id:nijihajimete:20180615151830j:plain
伝・円山応挙  《幽霊図》

なんだよこれも「伝」か~! ってアレですけど、まあこれも恐らく応挙で間違いないとのこと。
この大ヒットを期に、円山派にばんばん幽霊画のオーダーがきて大繁盛したそうな。

ところで「足の無い幽霊を描いたのは応挙がはじめて」と言う話はよく聞きますが、それより前に土佐光起や山本春正が描いているんですね。
しかし「これは誰の幽霊です!」という表記なしの、謂わば匿名の幽霊を描いたのは応挙が初めて。

また、諸説あるものの、幽霊=足が無いっていうお約束の元ネタのひとつは、中国の故事である「反魂香」からきているのだそうです。
「亡くなった奥さんに一目会いたいと、旦那が不思議なお香を焚いたら奥さんが出てきた」っていう時の挿絵が、お香の煙で奥さんの下半身が描かれていなかった。これが「幽霊=足が見えない」というイメージにつながったのです。

そしてもうひとつは、前述の山本春正の《夕顔》で「ふっと現れて消えた」という状態を表現するにあたって、足を描かなかったというところからきています。
そこから、要は誰がみても分かりやすい表現として幽霊=足が無いという構図が出来上がったということでした(もちろん足のあるやつもいる)。そのほかに逆立ちしている登場人物=幽霊という表現もあるようです。かなりアクティブな感じがする……。

また、この応挙の美人幽霊にも実は元ネタはこれじゃないか?と言われている物があります。
それが佐脇嵩之の『百怪図鑑』(っていう今で言うところの水木先生の妖怪全集みたいなの)に出てくる雪女。

f:id:nijihajimete:20180615152102j:plain
佐脇嵩之  雪女

顔、髪型、手の位置、着物の着方などなど……
全く同じではないけれど、要素が揃っている。
これ、時代的に見ても応挙が子どもの頃に見ている可能性大だそうです。
そもそも『百怪図鑑』は大人気で、多くの人の目にとまっていたのですって。

いつかどこかで見た、強烈に記憶に残っている「あの絵」。
そういえば、遠い昔、幽霊のような女の人の絵を見たなあ、それはこんな感じの人で……と応挙が記憶を頼りに描き起こしたってことも、あながち無くはない。山下先生曰く「この話で論文書ける!」とのことでした。うーん、読みたい。

ちなみに『百怪図鑑』はとても面白くて、水木先生の妖怪たちのビジュアルネタはこれから来ているものが多いんじゃなかろうか。ひょんさまとか、結構そのまんまでした。

幽霊画は縁起物だった


さてさて、なんで幽霊画のオーダーがたくさんあったかというと、なんと当時、幽霊画は縁起物だったのだそう。
珍しいからお店に飾ればたくさんの人が観に来て商売繁盛。
さらに店に飾っておけば夜泥棒が入ってきても、その絵を見てびっくりして逃げるからセコム代わりになるなど、良いことづくめ。

そんなこともあって、結構コワモテの幽霊なんかも好まれて注文されていたようです。
で、人気あるから絵の価値も上がって、幽霊画はお金持ちしか依頼できなくなってしまったのだって。幽霊画を持っていることが一種のステータスだったんですね。
とかなんとか書いているうちに長くなってしまったので、其の弐は絵の感想とかいってたけど、もうちょっとトークショーのこと書きます。
あと、展覧会で起こった怖い話もね。

nijihajimete.hatenablog.com