雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

【特別展】没後50年記念 「川端龍子 ー超ド級の日本画ー」展行ってきた

山種美術館 (写真は美術館の許可を得て撮影しています)

 

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この画像を見ると分かるのですが、「RYŪSHI」とローマ字で書いてある。
これは英語が入っていた方がビジュアル的にかっこいいから、という理由ではなく、川端龍子を知らない人は、つい「りゅうこ」とか「たつこ」と読んでしまうことが多いからだそうな。
そういえば雪村展も「ゆきむらではなく、せっそんです」とサイトでアピールしていますね。(そしてこちらも“SESSON”と書いている)

そんなわけで川端龍子展。名前は知っているし、作品も幾つか知っているけど、どんな画家かって訊かれたら「う~ん???」となってしまう方もいるでしょう。私はまさにそれでした。
本展は「正しい名前を知ってもらおう」というところがスタート地点なので、龍子デビューの方も大いに楽しめる構成です。……が、なんというか、普通の回顧展とはちょっと違う。

展覧会タイトルにも入っている、「ド級日本画」というフレーズ。これがすべてを物語っていると言っても良いかもしれない。本当にド級だったんです。

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奇想建築探訪(築地本願寺)とKING OF PRISM鑑賞 

少し前、twitterにて「今月号(7月号)のサライが面白い」というツイートがちらほらタイムラインにのぼっており、気になってサイトを見たところ納得。奇想建築大特集というではないか。

[caption id="attachment_1986" align="aligncenter" width="410"] 表紙には載っていませんが、石川九楊特集あり。[/caption]

加えて7月5日から始まる書道家石川九楊展の特集(この人の字はちょっと他にない凄さです)、全国のビール党に捧ぐ「家飲みビールを究める」特集、さらには「自転車生活」指南とな……。

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「ヴォルス展」行ってきた+自転車のはなし

@DIC川村記念美術館

※4月中旬に下書きしたままうっかりしていた記事のため、季節感がおかしなことになっています。

 

昨年の誕生日に自分へのプレゼントとして、クロスバイクを購入してからそろそろ1年。 必要に駆られて購入を決意したのですが、そういうのを抜きにしても心底買って良かったなあと思うくらい自転車が大好きになりました。

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「メットガラ ドレスを纏った美術館」観てきた  

 


初めて「メットガラ」という言葉を聞いた時、「人の名前かな?」とか「いかついヘルメットみたいな怪獣的な何かかな?」と思ったくらいこういう話題には疎い私ですが、そんな私が観ても興奮するほど面白かったこの映画。

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「花 * Flower * 華 ―琳派から現代へ―」展行ってきた

山種美術館

古くから人は花を愛で、その姿に「美しい」、「きれいだ」などの気持ちを抱いてきました。「美しい」とか「きれいだ」と思うとき、同時に胸の中をあらゆる想いが去来します。“あらゆる想い”は、例えば郷愁だったり愛おしさだったり、はたまた畏敬だったりするのだけれど、上手く言葉にできないことが多い。それでもなんとかしてその想いを表現できないものかと、人は音楽や物語、詩、写真、そして絵など、さまざまな手段を用いて試行錯誤してきたのでしょう。

花の絵を観るたびに、私は画家の“言葉にできない あらゆる想い”を垣間見た気持ちになります。

言葉ではうまく表現できない想いが、線に、余白に、色に、乗せられている気がしてならないのです。

「花 * Flower * 華 ―琳派から現代へ―」展は、そんな想いに満ちた展覧会。

 

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「オルセーのナビ派展 美の預言者たち―ささやきとざわめき」行ってきた

三菱一号館美術館

★この展覧会は、普段美術鑑賞を趣味にしている方はもちろんですが、「デザインやイラストを観るのは好きだけど、畏まった絵画はちょっとな~」という方にこそ観てほしい!……ってことをまず最初に書いておきますね。

 

 

ゴッホ”とか“ゴーギャン”という単語を見るたび、未だに「ゴッホとゴーギャン展」の記憶がちょいちょい蘇ってしまう私。先月まで名古屋で開催されていた「ゴッホゴーギャン展」の関係で、以前書いたブログに時折アクセスがあるのですが、そのたびに「きっと西の腐女子は会場出口で蛻の殻になってたんだろーなあ」なんて思っていた矢先にナビ派です

 

そもそも聞きなれないナビ派って何だ?

ナビ派」とは、19世紀末にパリで前衛的な芸術活動を行った若い人たちのグループ。というか、自分たちで呼んでたみたいです。自称「ナビ派」。主なメンバーはセリュジエ、ドニ、ボナール、ヴュイヤールなど。

ナビとはヘブライ語「預言者」の意。近代都市の様相を平坦な色彩で描き、目に見えない内面的な神秘性を表現するスタイルは、まるで来るべき20世紀の美術を予兆するかのよう。まさに「預言者」たる集団でした。

この時代、イギリスのラファエル前派といい、若い世代が積極的に前へ前へと行っていたんですね。

で、このグループができた発端に、あのゴーギャン先生(本展では「ゴーガン」と記載)が一枚噛んでると言うではないか。一体どんなオレ様具合で若者にドヤったのか知りたい……!そんな不埒な気持ちで観に行ったのですが、結論から言って最高でした。

ナビ派、やばい。すごい好み。本当にすごかった!! ―――で、思わず二回観に行ってしまいました。

多分これはあんまり深いこと考えずに、ナビ派の魅力を素直に享受する方が楽しめる気がする。直感的に「好きだ!」と思いながら観るとぐっとくる。まあ、絵画は全部そういうものなのかもしれませんが、この展覧会は本能とか直感でときめいたもん勝ちだと思います。で、ときめいていたら最後の最後でナビ派の根っこの部分を自分自身の体験として実感できる作りになってるんですよ。それは後述するとして、いやあ良くできてるよね……って心底唸った展覧会でした。そんなわけで冒頭のようなことを書いた次第です。

※ブロガー内覧会が開催されたので、その時の写真を載せています。写真は美術館の許可を得て撮影しております。

 

 

正直展覧会観るまでは「ゴーガン先生、どんな具合に吹かしてたんかな……」という興味が8割を占めていたのですが、この展覧会の見どころを知ってそれどころじゃなくなりました。

タイトルに「オルセーのナビ派って書いてあるので、展示されているもののほとんどがオルセー美術館から来ている絵だよってことはわかるんですが、なんと……

  • 現在オルセーの館長を務めるギ・コジュヴァル氏の(オルセー館長としての)最後の企画展というではないか!

そして……

  • コジュヴァル館長と、彼の盟友であり、かつてオルセーの準備室に勤務されていた三菱一号館美術館の館長・高橋明也氏がタッグを組んだ渾身の展覧会というではないか……!

高橋館長曰く「ナビ派作品の粋から選ばれただけあってハズレなし。最初からクライマックス、どの世界に出してもやり合えるトップレベルの展覧会」。

ここまで言われたら期待するよね……。

[caption id="attachment_1863" align="aligncenter" width="369"] ミュージアムショップには高橋館長とコジュヴァル館長のサインが[/caption]

母国フランスでも今までそれほど注目されておらず、最近やっと再考されるようになったナビ派。その立役者こそがコジュヴァル館長なのです。 彼は2008年にオルセー美術館の館長に就任してから怒涛のゴリ押しでナビ派を集め、世に紹介していきました。その甲斐あって、近年「あれ、ナビ派結構いいのでは?」という空気になっていったらしいのですが、そりゃそうだろうと納得してしまうのが前述にもある「平坦な色彩」。これは現代で受けるでしょう。だってオサレなんだもん。

 

ナビ派の特徴は主に以下の4点。

  • 象徴主義
  • 平面性と装飾性
  • 日常的主題
  • 神秘的主題

1890年にドニが残した「絵画が軍馬や裸婦や何らかの逸話である前に、本質的に、一定の秩序の下に集められた色彩で覆われた平坦な表面であることを思い起こすべきだ」という言葉が彼らの特徴をよく表しているような気がします。

[caption id="attachment_1865" align="aligncenter" width="480"] モーリス・ドニ
《18歳の画家の肖像画
味があり過ぎる……![/caption]

平坦、それは何の起伏もない凡庸という意味ではなく、高橋館長の言葉を借りるならば、「遠近法や明暗法による三次元空間の再現を基礎にした重厚な西洋美術の伝統と決別し、優しく感覚的でありながら思想性にも満たされ、具象性と抽象性を併せ持つ新たな美学の創造」ということなのではないでしょうか。一旦いろんな制約や技法やくっついてきた難しいものを取り払って、絵画というものをシンプルに捉えよう、と。

そんな思想のナビ派ですが、誕生のきっかけこそが我らがゴーガン先生の一声でした。

ゴッホゴーギャン(ゴーガン)展」でも紹介されていたように、ゴーガン先生は見たものをありのままに描くというよりは、一旦自分の中で咀嚼して、そのイメージを自分の中の記憶やらなんやらと一緒にしてアウトプットする人でした。総合主義というやつです。総合主義は以下の3つの要素

  • 自然形態の外観
  • テーマに対する自分の感覚
  • 線・色彩・形態についての美学的な考察

これらを、総合して織り込んでいくぞってことから総合主義と呼ばれ、一種の印象主義的な立場にありました。

[caption id="attachment_1866" align="aligncenter" width="576"] ポール・ゴーガン
《<黄色い>キリストのある自画像》[/caption]

で、これに賛同したのがベルナールやセリュジエたち。

ゴーガン先生がセリュジエに与えたこの助言↓ 「これらの木々がどのように見えるかね?これらは黄色だね。では黄色で塗りたまえ。これらの影はむしろ青い。ここは純粋なウルトラマリンで塗りたまえ。これらの葉は赤い?それならヴァーミリオンで塗りたまえ。」

これが展覧会のキーにもなっているわけですが、これを聞いて「そうだよ、これなんだよ俺が求めているのは!」と盛り上がり、セリュジエが描いたのがこの《タリスマン(護符)》。うん、アドバイスめちゃ活きてる。

[caption id="attachment_1867" align="aligncenter" width="404"] ポール・セリュジエ
《タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川》[/caption]

「絵とはかくあるべし」という暗黙のルールや世論を窮屈に感じていた作家たちにとって目から鱗、こうやっても良いんだ!っていう解放感は半端なかったことでしょう。そんなわけでこの絵は近代芸術の象徴であると同時に、ナビ派によるゴーガン先生への惜しみない賞賛の証となりました。

 

 

そこからナビ派は進んでいくんだけど、メンツがすごい。え?この人ナビ派だったんだ?っていう人もいる。代表的な作家は誰かというと……

 

ドニとかボナール、名前や作品は知っていたけど「〇〇派」っていうのはあんまり気にしたことなかった。でも、ナビ派だったんですね。

 

展覧会は「ゴーガンの革命」から始まって「庭の女性たち」、「親密さの詩情」、「心のうちの言葉」、「子ども時代」、「裏側の世界」というふうに、多く描かれたモチーフやそのときのナビ派内のテーマをもとに構成されているのですが、各章観ていて「この絵いいな」と思うものってやっぱ同じ画家なのよね。

そういうこともあってか三菱一号館美術館のサイトを見ると“あなたの推しは?”的な企画が作られているんだけど、私は断然ヴュイヤールでした!!!(次点はヴァロットン)

 

もうね、どの絵も素晴らしい。平坦と適切な装飾、線、色彩、形態、どれをとっても好みすぎる。陰影のミステリアスなつけ方!とか、フォービズムの大胆さを15年先取り!とかいろいろ見どころはあるんだけど、単純にかっこいいんだよ~!!SUKI!!!!

[caption id="attachment_1869" align="aligncenter" width="461"] エドゥアール・ヴュイヤール
八角形の自画像》[/caption]

中でも一番好みだったのはこちら。

[caption id="attachment_1870" align="aligncenter" width="576"] エドゥアール・ヴュイヤール
《ベッドにて》[/caption]

 

「眠る」という行為の持つ神秘性が、初期ナビ派の特徴である神秘主義と関連づけられるのではないかということなんだけど、細かいことはさて置いて、もうこの極力シンプルな構図と色!そんでこの気持ち様さそうに熟睡してる顔がたまらん!目しか見えないけど、完璧安眠してるだろっていうのが分かる!

 

あと、連作の《公園》。私邸の応接間兼食堂の装飾がとして制作され、当初9枚だったうちの5枚をオルセーが所蔵。今回5枚全部が来ているのですが、5枚で観ても1枚で観てもすっごく良い。公園の気持ち良さや解放感が伝わってくる作品でした。今の季節、この絵を観た後にブリックスクエアの中庭に出たら最高でしょう。

[caption id="attachment_1871" align="aligncenter" width="576"] エドゥアール・ヴュイヤール
《公園》 左より:「戯れる少女たち」、「質問」、「子守」、「会話」、「赤い日傘」[/caption]

 

2014年に三菱一号館美術館で回顧展が行われたヴァロットンも良かった。この《ボール》という絵が持つ、静かな不安感の絶妙なバランスといったらない。一見おかしなところはないように見えるんだけど、その実俯瞰なのか水平から見ているのか視点が定まらない。そこが本能的な不安感を煽るテクニックなのでしょうか。多くを語っていないタイトルもミステリアス。

[caption id="attachment_1872" align="aligncenter" width="480"] フェリックス・ヴァロットン
《ボール》[/caption]

 

あとやっぱこの辺!

[caption id="attachment_1873" align="aligncenter" width="480"] フェリックス・ヴァロットン
《髪を整える女性》
色遣いが絶妙すぎる。[/caption]

ばっちり私的で親密な空間なのに完璧に家でくつろいでいるわけじゃない、“静かな緊張感”みたいなものを本当にうまく醸し出すよな~と思うのです。

 

ちなみに今回登場する作家たちの関連資料や、過去に三菱一号館美術館で行われたヴァロットン展の図録が途中のコーナーに置いてあったので、気になる作家が見つかったら資料をあたってみるのも良いかもしれません。

さて、意外だったのが、ドニ。ドニ、西洋美術館に何点か作品があるんですけど……申し訳ないけど子どもが可愛くないっていうか怖い。こう、チャイルドプレイ的な怖さを感じるのですが、今回来ていたのはすごく可愛かった!!なんだ、こういうのも描く人なんじゃん!って思うくらい素敵でですね、特に《テラスの陽光》あたりはドニに対して抱いていた印象が変わりました。

[caption id="attachment_1876" align="aligncenter" width="576"] モーリス・ドニ
《テラスの陽光》[/caption]

あと、《車窓にて》っていう絵があって、これはこれで怖いんだけど、でもこの怖さならいける!っていう好みの絵でした。奥さんの絵もたくさん描いてた。大好きだったんだね……。そういえば《メルリオ一家》という絵が不思議だったなあ。一人だけ(お母さん)顔のタッチが他の人と違う。まるで宗教画のようなそれは、もしかしたら何か意味があるのかも??

 

ところでナビ派には“二つ名”があるんですよ。

ドニはその名も「美しきイコンのナビ」

なんだそれ中二病ぽい!と思っていたら、なんと初めのころのナビ派は、グループの一員でもあるポール・ランソンのアトリエ(通称“神殿”)で「秘教的な儀式」をやったり、自分たちだけに通じる言葉を使ったりして盛り上がっていたのだそうで……完全に中二だった。 更には高階秀爾先生が「実際彼らは、お互いに「ナビ」と呼び合い、毎月1回、特異な衣装を身にまとい、「神殿」と呼ばれる仲間の家で秘教的な儀式を伴う晩餐会(ばんさんかい)を催したりした。その活動形態は、ほとんど宗教的な秘密結社に近い。(毎日新聞web)」と書いていらっしゃったりして、ますますナビ派が好きになりました。

ちなみに件のランソン、セリュジエが《ナビに扮したランソン》という絵を描いており、それを見るに、なかなかトンチキな恰好をしていました。セリュジエ、こういうのも描くんだね……。

 

二つ名繋がりで言うと、ボナールは仲間から「日本かぶれのナビ」と呼ばれており、この時代の画家たちが浮世絵等に触れる機会が多かったように、彼もまた日本文化に多大な影響を受けていたみたいです。1893年歌麿1897年に北斎展もパリで開催されていますね。

ボナールの絵を観ると、確かに構図やら洋服やら(柄on柄なところとか)影響受けてるのかなって気がするのですが、個人的にこの展覧会で「君こそ日本画を良く見ている!」と思ったのがヨージェフ・リップル=ローナイ。日本人から見て一番日本的なのはこの絵でしょう。

[caption id="attachment_1877" align="aligncenter" width="460"] ヨージェフ・リップル=ローナイ
《アリスティード・マイヨールの肖像》[/caption]

 

ところでボナール、ポスターにもなっている《格子柄のブラウス》を1892年に制作しており、その8年後の1900年にブルジョワ家庭の午後》という、タイトル通り金持ち一家の午後の絵を描いているのですが、きれいさっぱり日本美術やアールヌーヴォーから脱却したねっていう全っ然違う筆致で描いているので、見比べると面白いですよ。でもな、どんなにタッチが変わろうと猫の描き方は変わらないの……(ボナール、猫、で検索かけるとなかなか面白い)。

 

 

こんな感じでひと口に「ナビ派」と言っても皆が同じ手法を用いて、同じ路線の絵を描いていたわけではないところを見ると、精神的な方向性やテーマが同じである人同士が集まって活動するということに主軸を置いていたように感じます。

なのでまあ、ジョルジュ・ラコンブあたりになると、ヴュイヤールやドニとはとても同じグループとは思えないけど(笑)、「神秘的主題」や「象徴的主題」という思想で考えると繋がってるわけで……そういった点もナビ派の面白いところなのかな。(ラコンブは作品が”生!命!とは!”みたいな感じで生々しく、「えっちすぎる」という理由で美術館に入る前までは親族所蔵だった)

あと、忘れてはいけないのがショップ。三菱一号館美術館「stor 1894」はいつも本当に素晴らしい。 今回もかなり楽しみにしていたのですが、期待を裏切りませんね。イチオシはぬりえの付いたポストカードでしょうか。各方面でも話題になっていたけど。 こちら、もとの絵とぬりえがセットになっているんですが(お値段はそのまま150円!)、ここへきてナビ派誕生のきっかけとなったゴーガン先生のあの言葉が蘇ってくるわけですよ。

「これらの木々がどのように見えるかね?これらは黄色だね。では黄色で塗りたまえ。これらの影はむしろ青い。ここは純粋なウルトラマリンで塗りたまえ。これらの葉は赤い?それならヴァーミリオンで塗りたまえ。」

セリュジエが黄色く塗った木を「いいや、私は赤だと思う!」っつったら赤く塗って良いんです。影をピンクに塗ったっていい。なぜなら、それがナビ派の原点だから。 観て、楽しんで、最後は自分もナビ派になりきって体験できるという、ナビ派初心者には至れり尽くせりな構成なのではないでしょうか。

とにもかくにも、私はヴュイヤールという作家を知ることができたのが大きな収穫でした。ナビ派知名度はまだまだかもしれないけれど、こんだけかっこいいんだからもっと評価されるべき。またいつか展覧会が開催されることを切に願います。 ナビ派よ、流行れ!!

 

 

オルセーのナビ派展:美の預言者たち ―ささやきとざわめき (公式HP→

会期:2017年2月4日(土)~5月21日(日) 時間:10:00~18:00(祝日を除く金曜、第2水曜、会期最終週平日は20:00まで) ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜休館(但し、2017年3月20日、5月1日、15日は開館)

「日本画の教科書(東京編)」展 行ってきた

山種美術館

山種美術館50周年記念のラストを飾るにふさわしい日本画の教科書展」の東京編を観てまいりました。 昨年(2016年)の3月に開催された奥村土牛の回顧展から始まって、琳派浮世絵、そしてベリーベストオブ速水御舟と言っても差し支えないほど新鮮な御舟展……。その最後に企画されたのがこの日本画の教科書」です。

京都編東京編に分けて公開され、各画壇の巨匠たちの作品を鑑賞しながら近代日本画のあゆみを振り返るというまさに「体験型美術の教科書」なわけですが、ここで言う“教科書”は絵や変遷の説明だけではありません。普段我々が見ることのない岩絵具等の画材の解説や、文字通り“教科書に図版として載っている日本画の原画”が程よいボリュームで凝縮されていて、マジでためになる展覧会。でもな、文末に記載しますけど、それだけじゃなかったんだよ……。

ともあれ「日本画を観るのは好きだけど、何となく観ているだけなんだよなあ」という人は必見。出品されているのはどれも珠玉の名品ばかりなので単純に鑑賞するだけでも十分ですが、ここで紹介されていることを知っているか知らないかで、今後美術を鑑賞する楽しみ方はかなり変わってくると思います。近代美術館や国立博物館の常設展示室が倍楽しくなりますよ! ※写真は美術館の許可を得て撮影しています。また、掲載している作品は全て山種美術館の所蔵品となっております。 展覧会は順路のとおりにほぼ時系列でその時を象徴する作品を追う作りとなっており、近代~現代日本画が戦争という節目を経てどのように変わったかを知ることができます。また、院展日展の画家でも分けられて展示されているので、(言い方はアレですが)それぞれの団体のしのぎを削るさまを見比べることも。

 

日展院展の違い※ そんくらい知ってるよ!って言われるかもしれないけど、私のような美術鑑賞初心者はあんまり公募展とか観ないと思うんですよ。私もずっと興味なかったので一応書いておくと……

日展はもともと「文部省美術展覧会(文展)」と呼ばれており、明治時代の文部大臣・牧野伸顕が、日本美術界レベルアップという名のもとに派閥調停も兼ねて作ったもの。こちらは政府が直接介入した公募展。現在対象ジャンルは日本画・洋画・彫刻・工芸・書の五項目。毎年秋に国立新美術館で開催される。川合玉堂鏑木清方東山魁夷が有名。

一方院展は、日本美術院の公募展のことで、こちらは現在日本画のみ。岡倉天心日本美術院が端を発し、一旦没するも文展にモヤモヤした気持ちを抱いていた横山大観下村観山が「もっぺん立ち上げよう」と再興。以降現在まで続いている。安田靫彦奥村土牛平山郁夫が良く知られています。

 

さて。展覧会は以下の2章構成。 第1章 近代の東京画壇 第2章 戦後の東京画壇

東京編第1章は松岡映丘《春光春衣》から始まります。

[caption id="attachment_1827" align="aligncenter" width="500"] 松岡映丘《春光春衣》 (山種美術館所蔵)[/caption]

このポジションに来るのはいつも、“展覧会を象徴する絵”と決めているそう。 今回の映丘も古式ゆかしいやまと絵の伝統技法を重んじながら、そこに斬新なトリミングを施すなど、“新しい時代を切り開きながら日本画の粋を高めていこう”とするその姿勢が展覧会のテーマにぴったりです。中ほどにも映丘の絵巻があるんだけど、細部までの描写がすごい。さすが学者一家に生まれただけあってがっちり時代考証やっているんでしょう。尚且つ気品もすごいんだ。

[caption id="attachment_1829" align="aligncenter" width="672"] 松岡映丘《山科の宿 雨やどり・おとづれ》(部分/山種美術館所蔵)[/caption]

これ描いたの37歳だって……。やばい、頑張らねばとアラフォー世代は身につまされますね……。 戦前の東京画壇で目を引いたのは小堀 鞆音《那須宗隆射扇図》

[caption id="attachment_1830" align="aligncenter" width="425"] 小堀鞆音《那須宗隆射扇図》(山種美術館所蔵)[/caption]

歴史画(武者絵)といえば小堀鞆音&安田靫彦師弟は有名ですが、もー武具の描写がめっちゃくちゃかっこいい。時代考証や取材をがっちりやってるだけあって、どうですこの鎧……?実は本展で一番好きなのは、この絵だったりします。

もちろん構図も素晴らしい。主役が背中を見せるこの特撮感たるや、たまらん!歴史画は院展が得意とするところだそうな。 続いてこちら、今をときめく渡辺省亭

[caption id="attachment_1832" align="aligncenter" width="672"] 渡辺省亭《葡萄》(山種美術館所蔵)[/caption]

省亭と言えば鳥がアイコンみたいな感じもしますけれど、ネズミも良いぞ!省亭推しの山下裕二先生もこのネズミが大好きだそうです。(もちろん鳥も出品されているぞ!)

そして忘れちゃいけない横山大観心神この絵がなかったら山種美術館は無かったと言っても過言ではありません。

[caption id="attachment_1833" align="aligncenter" width="768"] 横山大観心神》(山種美術館所蔵)[/caption]

ある時、創立者・山崎種二(山種証券:現SMBCフレンド証券 創業者)に大観が「ここらで何か世のためになること(文化的な活動)をしてみたらどうだろう?」と提案。種二はやんごとなき場所にしかない美術品を、一般の人たちも気軽に楽しめるような美術館を作ることを決意します。そこで「そういうことならばこの絵を譲りましょう」となったのがこの心神でした。そう、この絵は山種美術館が生まれた記念碑的な作品なのです。

大観作品で言うと心神の隣にいた《叭呵鳥》の「ム!」という感じもすごく好き。

[caption id="attachment_1835" align="aligncenter" width="576"] 横山大観《叭呵鳥》(部分/山種美術館所蔵)  「ム!」[/caption]

 

心神と同じような経緯で所蔵品となったのが小林古径清姫

[caption id="attachment_1834" align="aligncenter" width="672"] 小林古径清姫》(部分/山種美術館所蔵)[/caption]

道成寺のお話ですね。もともと巻子にする予定だった作品を8枚の連作として構成今回はそのうちの4枚が出品されています。院展出品後も手元に大切に持っていたこの作品、“いつ何があっても持って逃げられるように”と身近なところに置いていたため、染みが出た作品もあったそうです。それくらい大事な作品だったけど、山崎さんが美術館をつくるならと譲ってくれたわけですよ。もうね、山種美術館への大きな期待がその行動に表れているんだよ……! そういう話を知ってから観ると、なるほど連続する絵の上下幅が揃っている理由も分かるし、何よりその背景にあったドラマにグッとくるわけです。私、少年漫画脳だからそういう話大好きなんよ……。

ちなみにこの清姫修復を終えての初公開です。以前もきれいな作品だったんですが、修復後は透明感がやばい。シーンによっては透明を通り越して発光しているかのような輝きを持っているものもあります。あと髪の毛の描写がめっちゃ繊細だから見てくれ!!古径が線描を如何に重視していたかがわかります。

 

そのお隣にある速水御舟《昆虫二題(葉蔭魔手・粧蛾舞戯)》

[caption id="attachment_1836" align="aligncenter" width="768"] 速水御舟《昆虫二題  右:葉魔手 左:粧蛾舞戯》(山種美術館所蔵)[/caption]

こちら今回唯一写真撮影OKとなっている作品。山種の所蔵作品の中で奥山土牛に続いて二番目に多いのが御舟の作品なんですって。御舟は時代ごとにガラッと画風が変わるから蒐集するのが楽しいと思います。《葉蔭魔手》、絵の前でちょっとかがんで観るとわかるけど、蜘蛛の巣がキラキラ光って美しい。これは月光に照らされている状態を表現しているもので、対する《粧蛾舞戯》は火(太陽)を表現。そしてそれぞれ円心への集約放射状の拡散という構造対比も行っており、二枚の前に立つと不思議な感覚を味わえます。

1章のラストを飾る落合朗風《エバ》も気になるのですが、展示されるたびにじっと観てしまうのが川端龍子《鶴鼎図》。鶴が文字通り鼎談しているような構図の絵ですが、前にも書いたけどどうしても”三美神”の構図に見える。

[caption id="attachment_1837" align="aligncenter" width="576"] 左:川端龍子《鶴鼎図》(山種美術館所蔵)   右:ボッティチェリ《春》(部分)※こちらは展覧会の出品作品ではありません。[/caption]

龍子は西洋画も勉強していたから、ひょっとしてちょっと意識していたりするのかな……?と思ったり。そうそう、6/24から同館で川端龍子展」が開催されますね!副題にダンガンロンパよろしく「超ド級日本画と付いているのがめちゃくちゃ気になる……!!

 

第2章は戦後の東京画壇。いよいよ日展が開催されるようになり、スターがばんばん生まれていきます。日展ではのちに日展三山」と呼ばれる東山魁夷、杉山寧、髙山辰雄抽象表現や内省的な主題表現といった斬新なアプローチを展開し、新しい日本画の方向性を示唆。 一方院展では安田靫彦奥村土牛小倉遊亀らが活躍。古典を重んじつつ新時代にふさわしい革新を模索しながら、院展という伝統を継承し続けました。こうしてみると、それぞれ特徴を大事にしながら常に新しいことにもチャレンジしていってるという印象を受けますね。

一番最初に目を引くのが荒木十畝《四季花鳥》

[caption id="attachment_1838" align="aligncenter" width="768"] 荒木十畝《四季花鳥》(山種美術館所蔵)[/caption]

こちら、山種美術館の所蔵品の中でも一番の縦長サイズを誇る作品だそうです。とにかく色がすっごく綺麗。十畝は日展の画家。当時日本画壇では、琳派ブームがやってきていたらしく、琳派的な表現に西洋画の写実を加えて花鳥画を描いた作品が多く登場したそうですが、どことなく若冲動植綵絵も連想させます。 続いて橋本明治《朝陽桜》、山口蓬春《新宮殿杉戸楓4分の1下絵》、杉山寧《曜》

[caption id="attachment_1839" align="aligncenter" width="672"] 左:橋本明治《朝陽桜》   右:山口蓬春《新宮殿杉戸楓4分の1下絵》 (山種美術館所蔵)[/caption]

この3枚はまさに山種美術館設立の際に山崎種二氏が構想していた「やんごとなき場所にある作品を一般の人たちにも気軽に楽しんでほしい」という志そのもの。 一般の人たちは皇居の宮殿なんて入れないじゃないですか。だからそこに納められている優れた美術品を目にする機会は滅多にない。そこで種二氏は「同様のコンセプトの作品を作ってほしい」と作家に依頼しました。 橋本明治は「正殿東廊下の杉戸絵《桜図》」を《朝陽桜》に杉山寧は「春秋の間」のカーペット図案を《曜》の空に。そして山口蓬春はこの時すでに体調を崩しており、新作に着手することができなかったため、杉戸絵楓の下絵山種美術館が譲り受けました。

いやあ、もうね……。こういうエピソードも大好き。なぜここにこの絵があるのか、なぜこの絵なのかってことですよ。胸が熱くなるったらないです。

胸熱エピソード繋がりで言うと東山魁夷「京洛四季」《春静》、《緑潤う》、《秋彩》、《年暮る》も然り。

[caption id="attachment_1840" align="aligncenter" width="768"] 東山魁夷「京洛四季」
左より《春静》、《緑潤う》、《秋彩》、《年暮る》(山種美術館所蔵)[/caption]

特に《年暮る》は年末になると展示されているか問い合わせがくるほどの人気作品だそうですが、これも最初から4点揃っていたわけではないのです。 魁夷が川端康成から「今のうちに京都を描いておかないと、そのうちこの風景はなくなっちゃうよ」と言われて描き始めた本作。はじめに所蔵されたのは《春静》《年暮る》でした。その後魁夷は山種美術館の開館10周年記念に《緑潤う》を、「あとは秋があれば四季が揃うね」と、20周年記念に《秋彩》を描いて「京洛四季」が誕生したのです。もともと連作だったわけじゃないんだよ……。 種二氏は「絵の値打ちは作者である画家の人柄に負うところ大だ」として、画家と積極的に交流したと言います。そういう姿勢がこういう結果に結びついているってことだよね……。かっこよすぎやろ。 で、振り返ると奥田元宋奥入瀬(秋)》がバーンとあって(大きくて写真に納まらない!)、その前に設えてあるベンチでぼんやり眺めたりするわけなんですけど、ほんっと色がきれいなのよね。

こういう色ってどうやって出してんだろうなァ……って思った頃にタイミング良く画材の資料展示が出てくるんですが…… このチャートみたいなのを見ると分かるのですが、岩絵具って粒子が粗いと濃くなって、粒子が細かいとパステル系になるんです。知らなかった、てっきり色を混ぜてるんだと思ってたよ~なんて思っていたら、岩絵具って混ぜられないんだって!粒子だから混じり合わないので、一回塗って乾かしてから上に重ねて微妙な色は生み出されていくそうです。しかも粒子が沈んじゃったりするから描いて絵の具が乾いてみないことには、どんな色に仕上がるかは分からないという……。そんなギャンブルみたいなアレでこんなに綺麗な絵が描けるってすごくない?いや、経験と鍛錬からできる神業なんでしょうけど……

この画材展示を見てしまうと、もう一度作品をその観点から見直したくなります。

ちなみにこの展示の近くにある織田信長が敦盛を舞う安田靫彦《出陣の舞》は、教科書に載ることがよくあるそうです。また、前田青邨《腑分》は切手になったことも。見たことがあるって方も多いのではないでしょうか。

[caption id="attachment_1842" align="aligncenter" width="432"] 安田靫彦《出陣の舞》(山種美術館所蔵)  制作された年(年齢)を見て腰抜かす一枚[/caption]

 

今回第二会場は「受け継がれる歴代館長と作家たちの関係」ともいえる内容。 平山郁夫、横山操、加山又造の作品が展示されているのですが、どういう繋がりかというと、彼らは”四方山会(よもやまかい)”と名付けられた懇親会のメンバーなのです。 平山郁夫、横山操、加山又造、そして二代目館長・山﨑富治。4人とも名前に「山」がつくことから”四方山会”と名付けられました。 作家と積極的に交流をするというのは、初代館長の「絵の値打ちは作者である画家の人柄に負うところ大だ」という想いから受け継がれてきた姿勢。二代目館長もそれをずっと大切にされました。 そしてそのバトンは次の世代にもしっかり渡されます平山郁夫は現在の三代目・妙子館長東京藝術大学に在学中であったときの恩師。館長が大けがを負った際には励ましの言葉を届けるなど、作家と美術館という垣根を超えた人と人とのコミュニケーションがしっかり根付いているのです。

日本画の教科書」として近代から現代日本画のあゆみを鑑賞という体験で振り返る展覧会ではありましたが、それだけじゃない、なんというか、作品を通して日本画に生涯を捧げた人たちのあゆみを見た」、そういう気分になりました。

 

で、展示を観終わったら次に気になるのがカフェなのですが。。。 今回の限定和菓子はこの5種類! ツイートでも紹介しましたが、こんなに鮮やかな色が出てるけど、合成着色料一切使ってないからね!メニューは展覧会ごとに変わるし、前にピックアップされた作品だからといって以前と同じお菓子は絶対に出さないという徹底ぶり。あんこも胡麻餡とか柚子餡とか見た目や季節に合わせて変えてあるのでコンプしたいくらいです。お茶だけでなく、コーヒーとの相性も◎ https://twitter.com/nijihajimete/status/847311066526752769

展覧会が終わっちゃったらこのお菓子とも会えなくなっちゃうので、会期は逃さず、お菓子も逃さず、一期一会を大切にしましょう♡ 日本画の教科書」展、4/16(日)までだから急げ~!!!

 

日本画の教科書」東京編ー大観、春草から土牛、魁夷へー(公式HP) 会期:~4月16日(日) 月曜休館 会場:山種美術館 開館時間:午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

 

 

:追記: ショップでも大人気のこちらのチョコレート。今期は完売となったそうです。 また秋に復活するというので楽しみに待ちましょう~!

[caption id="attachment_1844" align="aligncenter" width="522"] 大人ビターなBean to Bar です。こちらのパッケージは速水御舟バージョン。[/caption]