雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

浮世絵Floating World 展行ってきた(第三期)

三菱一号館美術館 幕末からのスピード感半端ない。振り落とされないように刮目せよ。

6月にはじまった浮世絵展もついに最終ステージへ。 「江戸のグラビア」浮世絵の黄金期→「ツーリズムの発展」北斎・広重の登場→そして今回の「ジャーナリスティック・ノスタルジックな視線」ということで、”うつりゆく江戸から東京へ”と時間を旅するわけですが…。 三菱一号館さんには申し訳ないんですけど、正直なところ第一期・第二期に比べ、第三期はそんなに期待していなかったのですよ。。。 期待していなかったというか、祭りは一期と二期だよなっていうか。。

でもね、第三期が一番すごかった。ごめんなさいだよ。 まさにランボルギーニみたいな車に乗っけられて時代を疾走するドライブに連れていかれたような感じ。 絵なのに、しかも100年以上前の絵なのに、ものすごいスピードで観賞者を引っ張っていく力を持っているんです、浮世絵って。

私、第一期観たときの感想で「ふわふわと白昼夢をみているような」とか書いてるんですけど、全然そんな生易しいもんじゃなかったわ。私が浮世絵だと思っていたものは氷山の一角だった。

会場に入ると、まず二期からの流れを継いで(前回までのあらすじ的に)、北斎とか国芳とか広重が描く風景が展示されています。 ここで噂の”江戸時代に描かれたスカイツリー(?)”が早くも登場。

[caption id="attachment_446" align="aligncenter" width="640"]歌川国芳 <東都三ツ股の図> 歌川国芳
<東都三ツ股の図>[/caption]

無粋な真似してすみませんが、丸で囲ませていただきました。

[caption id="attachment_453" align="alignleft" width="273"]国芳のサーチライト。 ※この絵は今回出展されていません。 国芳のサーチライト。
※この絵は今回出展されていません。[/caption]

 

 

 

これは…なんだろうね。右側にもいろいろ高層的なものが見えるけど、あれらはきっと船の部分なのだろうけど…。櫓にしては遠近感おかしいし、国芳ってサーチライトみたいなのも描いてたよね?二期の亀の絵といい、不思議なひとだわ。

 

 

他にも名所の絵が続くのですが、面白かったのはこれ!! ゴッホも模写した広重の「梅屋敷」・・・・と、ロートレックの「ムーランルージュ」。

[caption id="attachment_455" align="alignleft" width="199"]初代歌川広重 <亀戸梅屋敷> 初代歌川広重
<亀戸梅屋敷>[/caption]

[caption id="attachment_456" align="alignright" width="203"]トゥールーズ=ロートレック <ムーランルージュ> トゥールーズロートレック
ムーランルージュ>[/caption]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――お分かり頂けただろうか? これが分かったとき、思わず噴き出した。これ考えた人天才だわ。。。こういうことできるのは三菱一号館だけだよww

その後江戸の名所絵が続くのですが、初代広重の作品、手前にアクセント付ける構図が続いて面白い。 きっと、この時このアングルにはまってたんだろうなあ。久米田康治の1コマ目みたいな。

[caption id="attachment_462" align="alignleft" width="202"]初代歌川広重 <日本橋江戸ばし> 初代歌川広重
日本橋江戸ばし>[/caption]

[caption id="attachment_463" align="alignright" width="199"]初代 歌川広重 <水道橋駿河台> 初代 歌川広重
<水道橋駿河台>[/caption]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな感じで、構図大胆でかっこいいな~なんて思いながら美人ゾーン(と、名付けたくなる美人画が置かれているゴージャスな空間が三期を通して存在する)にて小林清親の「首尾の松 花火」にうっとりしていると、いよいよ文明開化の足音が聞こえてきます。 赤い壁が豪奢な展示室に入ると、そこは外国船が往来する横浜。 ここから時代の変化するスピードがすさまじい。

あら黒船がやってきた。外国の人が絵の中にちらほら見え始めた。なんて思っていたらホテルが建った・鉄道が開通した・人々が洋服を着始めた・・・

展覧会のサブタイトルに”ジャーナリスティックな視線”とあるように、写真の無かった時代、絵が街を克明に記録している。私はもともと写真方面出身者なので、報道写真・時代の流れを追った写真はある程度見てきたのですが、そういうのって写真だからこそできる分野だと思っていたんだけれど。。。

浮世絵、侮れないぞ。 侮れないっていうか、下手したら写真越えてる面もあるかもしれない。

勿論絵だから、多少フィクションや誇張が現れることもあるかもしれないのだけれど、それでも、時代が移っていくスピードを伝える力の強さが尋常じゃなかった。 ああ江戸の町は素敵だなとか、富士山をバックにした東海道は絵になるなとか、そういう一般的な浮世絵のイメージとはまた別の面で力を発揮してきていて、この絵を作った人たちの”今を伝える/遺す”意志の強さっていうのかしら、そういうものにものすごいショックを受けました。

すごいの。ものすごいスピードで日本が変っていくの。 横浜の人は観たことあるかもしれないけれど、五雲亭貞秀の絵とか、勢いがすごく伝わってくる。(この人の「横浜鉄橋之図」、完全にパノラマビューです。iPhoneのパノラマ機能と同じ視覚) ※五雲亭貞秀は三代目豊国と書いてる「岩亀楼并ニ異客之図」とエメ・アンベールの「日本図絵」は比べてみるととても面白いです。そっくりなのに違う。

広重も三代目になって、その絵の中には鉄道やガス灯が。 二代目歌川国輝の「第一大区従京橋新橋迄煉瓦石造商家蕃昌貴薮沢盛景」(長い!)では、連なる商店の造りがすっかり様変わりしている。

[caption id="attachment_465" align="aligncenter" width="445"]二代目 歌川国輝 <第一大区従京橋新橋迄煉瓦石造商家蕃昌貴薮沢盛景> 二代目 歌川国輝
<第一大区従京橋新橋迄煉瓦石造商家蕃昌貴薮沢盛景>[/caption]

ちょっと前まで、こんな風だったのに。

[caption id="attachment_467" align="aligncenter" width="357"]初代 歌川広重 <日本橋通一丁目略図> 初代 歌川広重
日本橋通一丁目略図>[/caption]

 

これを見て、なんだか淋しくなってしまうのは私だけでしょうか。 もちろん明治の絵も街も素晴らしいし、美しい。 けれど、空にトンビがいなくなり、雁の群れの代わりにガス灯が遠くまで灯り、富士山は画面から姿を消す。へらりと緩く笑っていた人たちの顔は澄ました表情に変わり、背筋が伸びる。そしてちょっと、忙しそうになる。

悪い事じゃないし、今の煩雑な街からしたら十分魅力的なんだけれど、あの江戸はもういないんだなあと思ってしまうと、なんだかちょっと淋しいのでした。 でも、時代が移り変わるというのはそういうことで、土地は生き物なのだ。

出口手前になると楊洲周延の真美人たちがお見送りしてくれるのですが、すれ違う女学生に声をかけられたような気がしました。

[caption id="attachment_468" align="aligncenter" width="425"]楊洲周延 <真美人 十四(女学生)> 楊洲周延
<真美人 十四(女学生)>[/caption]

「平成という時代を、あなたは生きてください」