雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

ザ・ビューティフル展 再々訪してきた

@三菱一号館美術館

あともう少しで終わってしまう! その前に、観おさめておきたい……ということで、三回目、行ってきました。(会場の写真は、美術館の許可を得て撮影したものです)
昨年の秋に「ラファエル前派展」「ザ・ビューティフル展」の合同イベントがあり、その時に配布された資料を見て衝撃を受けたムーアの 《真夏》

f:id:nijihajimete:20180616121943j:plain
アルバート・ムーア 《真夏》

それは印刷物からも伝わってくる、むせかえるような夏特有の、植物やら甘い果実やらのにおいをまとった熱気。
絵の中の女性のように、その空気にあてられて、ついまどろんでしまいそうになりました。
以前一緒に展覧会に行った友人が「マンゴーの匂いがしそうな絵」と形容したとおり、実物を観るとさらにその気配は濃厚になります。ミニストップのマンゴーパフェを見かけ、これは行かねばと昨日思い立ち、再訪した次第です。

いつの時代を模しているのか、こめられた寓意は何なのか。
そんなことどうでもいい、「唯、美しく」
ラファエル前派の画家たちが行き着いたのは、この境地だったのでしょう。

前回の「ラファエル前派展」にも書きましたが、ラファエル前派の画家たちはかなり個性的で退廃的な人が多く、当時アンチ唯美主義の人たちからはm9(^Д^)プギャーされまくっていたようで、新聞等に風刺画がかなり載っていました。(本展の後半に、その時の風刺画が展示されています)
まあ、指さして笑うと言っても、おそらく嫉妬もそこには含まれていたはず。

鑑賞者からすると、そういう個性強いキャラの描いたものっていうのはバックグラウンド込みで面白くてですね、この展覧会も素直に「唯、美しく」っていうのに酔えばいいんだけど、やっぱりキャプション読んだりするといろいろ妄想してしまうのです。

f:id:nijihajimete:20180616121252j:plain
シメオン・ソロモン 《花嫁、花婿、悲しき愛》

BL好きな人に推したいのがシメオン・ソロモンです。
彼はゲイ・セクシャルであり、いろんな人とお付き合いしたそうですが、おそらく彼にとって忘れられない恋のお相手が詩人であるアルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン
スウィンバーンは貴族の出で、見目麗しく、堂々として頭も良いけれど気が荒くてわがまま。対するソロモンはそこそこ裕福な家庭だけれど、繊細で道徳的だったとか。そんなソロモンとスウィンバーンは一緒に暮らすことになるのだけれど……と、新連載の予告かよ!? というくらい隙のない設定です。
最終的に悲しい結末を迎えるのですが、それを暗示するかのごとく《花嫁、花婿、悲しき愛》では本来晴れやかに祝福する立場のはずの天使が、未練たっぷりの顔で花婿の手を握っています。この表情が本当にうまいというか、シチュエーションを良く理解して使ってるなあというか、絵はそれほど好みではないけれど、表現が絶妙すぎて目が離せない一枚となりました。
うーん、ロセッティやミレイ、そしてソロモンもみんな恋愛にどっぷりだったのだね……と思いきや、中にはそういった浮いた噂が残っていない生涯独身の人もいました。

f:id:nijihajimete:20180616121318j:plain
フレデリック・レイトン 《パヴォニア》

ポスターで見かけた方も多いかと思いますが、ほんっと目を奪われる作品。艶やかな黒髪は思わず触ってみたくなるほど見事に描かれています。
レイトンの作品は官能的な絵が多いのだけれど、モデルに対してはとてもストイックだったとか。”美術界のゼウス”と謳われ、25歳で女王陛下に作品を買い上げられた身ゆえに忙しすぎて仕事が恋人だったのかもしれないけれど……。
ちなみにパヴォニアとは「孔雀」という意味。ラファエル前派の絵を観ていると、孔雀を用いた作品がとても多いことに気付きます。

f:id:nijihajimete:20180616121234j:plain

中央のパヴォニアのほかに、左にあるフレデリック・ワッツの<孔雀の羽を手にする習作>もそうです。このほかにも、孔雀モチーフがたくさん登場します。
そして同じくらいの割合で、”ひまわり”をモチーフにしたものが多く登場します。
この時代の美の符合として、ひまわりは男性を、孔雀は女性を意味していました。一説によると、孔雀はそれまでさほど良い意味として扱われていなかったそうですが、唯美主義者たちの手によって、美を象徴するものへと変えられたようです。

 

ところで。森アーツで行われた「ラファエル前派展」との大きな違いとして、こちらでは工芸品を扱っているということが挙げられます。

f:id:nijihajimete:20180616121229j:plain
トマス・ジェキルによる蜀台、暖炉回りのパネル、他

19世紀半ば、それまでの古臭い美術観に異論を唱え、物語や宗教を語らずに、ただ美しさを追及することを目的としてラファエル前派は結成されましたが、それは絵画の世界だけでなく、住まいや工芸品にも伝播していきました。はじめは富裕層から、そしてしだいに一般階級の暮らしを変えていきます。
それは”ハウス・ビューティフル”という理想となり、単なる美術品から、デザイナーと企業を結ぶ美術産業製品の誕生へとつながります。
その根底には、ウィリアム・モリスの提唱する、この概念が込められていました。
「家には、役に立つか美しいと信ずるもの以外、置かないように」

─────いやいやいやいや……そんなの無理に決まってんだろ! できるもんならそうしたいわ! と言いたいところですが、そこをぐっと堪えて。これはとても大切なことだなと思うのです。
美しい暮らしは精神を豊かにします。ごちゃごちゃした暮らしをしていると(私の部屋ですね)、それだけで心が荒んでしまう(ええ、私のことですね)。身の回りが美しく整えられていれば、たとえそれが高価なものでなくても個人の美意識は向上し、国民全体の文化レベルは上がっていく。モリスは英国全体の精神を豊かにしたかったのではないでしょうか。

芸術家たちは、絵画だけでなく己の家の内装をはじめとする暮らしのデザインをも行いました。
ジェイムズ・マクニール・ホイッスラーはエドワード・ウィリアム・ゴドウィンに自身のアトリエ兼邸宅の建築を依頼します。それが、ホワイトハウスです。
この展覧会ではホワイトハウスの断面図やファサードのデザインが展示してあるのですが、規律をきっちり守りながら、豪奢にならない程度に華やかさを併せ持っているところがとても素敵です。
しかしこの見事な邸宅、ある事件をきかっけに手放されることに─────!

f:id:nijihajimete:20180616121239j:plain
ジェームス・マクニール・ホイッスラー 《ノクターン

この絵をめぐって、「こんなもん抽象的すぎてダメだろ」と言った(ラファエル前派の理解者でもあった)ジョン・ラスキンと作者のホイッスラーが大ゲンカ。ついには裁判にまで発展し、ホイッスラーは裁判で勝ったものの裁判費用がかさみすぎて自宅を売却せねばならないという残念な結果に……。
その後ホイッスラーは生活のために版画の依頼を受け、ヴェネチアの風景をセットにしたエッチングヴェニスセット)を作成していますが、これもラスキンヴェネチアを研究していて、その研究に欠点があるのをあげつらうためにヴェネチアを題材に選んだとか……。この辺も人間関係がどろどろしていて面白いけど、ホイッスラーえらい捻くれてんなと笑ってしまいました。
ちなみにこのノクターン》、めったに外に出ることがない作品で、展示にもものすごい気を遣っているとのこと。本当に不思議な絵です。暗い絵なので、しばらく見つめて、絵の中の夜闇に目を慣らして鑑賞してみてください。

 

まあ、最終的に人間模様が面白いというところに帰結してしまうのですが、結局はそういうドラマティックな人生を絵に投影する力量があるから絵も素晴らしいし、背景知ってさらに楽しいと思えるのだと思います。
フィンセント・ファン・ゴッホの弟、テオドルスも言ってます。

f:id:nijihajimete:20180616121402j:plain
漫画『さよなら ソルシエ』(穂積/小学館)より ※フィクションです

上で挙げたほかにも、バーン=ジョーンズがデザインした靴や、モリスの壁紙など幅広く唯美主義をなぞることができる展覧会になっています。
キャプションも詳しいので、作家たちの関係性からスキャンダル、そして当時の社会とどう関係していたのかも知ることができます。

おりしも季節はラ・フォル・ジュルネ。国際フォーラムからすぐ近くの美術館なので、音楽鑑賞と一緒に19世紀のイギリスの夢に触れるのも良いかもしれません。