100年たっても、新しい。マリアノ・フォルチュニ展でおおいに腰を抜かした話
「マリアノ・フォルチュニって誰?」
三菱一号館美術館の年間スケジュールが発表されたとき、そう思った。
メインビジュアルを見るかぎりファッションの人のようだが、残念ながら存じ上げず……。というのも私自身ファッションにとても疎く、同年代の友人に比べてブランドなどもほとんど知らない。
服は暑さ寒さを凌げるかが一番大事で、次に自分に見合った値段。さらに最近だらしなくなってきた体型をカバーできればそれで充分だと思っている(ついでに皺がつきにくければ尚良し)。
それでも「マリアノ・フォルチュニ」展が気になったのは、過去に三菱一号館美術館で開催されたファッション系の展覧会で大興奮した経験があるからだ。
ハイブランドのオートクチュールが並んでいたからではない。
眩いばかりの宝石が光り輝いていたからではない。
「この人やばすぎるな⁉」という逸話が、そして技術が、ぐうの音も出ないほど完璧な作品と共に繰り広げられていたからである。
続きを読む門外不出を連れ出す方法 「フリーア美術館の北斎展」で北斎の手癖を見た
昨年、大塚国際美術館に行ってから、自分の中で「複製」という言葉のイメージが大きく変わった。
それまでは「本物」こそが「本物」であり、「複製」は総じて「偽物」という印象を抱いていた。しかし大塚国際美術館で美術陶板を鑑賞してから、「本物」を「複製」するということには様々な意味があるということを知ったのだ。
稚拙な言い方をすれば、この世には「良い複製」と「悪い複製」がある。
大塚国際美術館の美術陶板は「良い複製」であり、そして今回すみだ北斎美術館にて開催されている「フリーア美術館の北斎展」、こちらに展示されているフリーア美術館の複製画も、確固たるプライドを持った「良い複製」と言えるだろう。
本物を模すことが何をもたらすのか、その新たな一面を知ることができる展覧会だった。
※写真は主催の許可を得て撮影しています。
続きを読むゆく春。楽しい時間が過ぎてしまう悲しみについて
春が好きだ。
それも、一年のうちで今の季節が一番好きだ。
毎年、北風の中にときおり角の取れたまるい風が混じるようになると、春がもうすぐやってくるのだとわくわくする。
そして桜の蕾が気になり始めるのだけれど、これがだんだんと膨らんでくるとそわそわしてしまって、開花の情報が流れようものなら「ああ、そんなに急いで春にならなくていいんだよ」と焦ってしまうのだ。
この季節が一年のうちで一番好きだ。
でも、好きすぎるあまり、過ぎ去ってゆくのを恐れてしまう。
今日あった不思議な出来事
「世の中にはふしぎなことがあるもんだなあ」
そう思ったことはありませんか?
その時は大して気にも留めなかったことが、後々めぐりあわせを生むような。
私は今まで何度か不思議な出来事に立ち会ったことがあるのだけれど、今日またそういったことがあったので(そして個人的にちょっと素敵で気に入っているので)、せっかくだし日記に残しておこうと思う。
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