雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

日帰りで尾瀬に行った話

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 10月の上旬、尾瀬に行った。

 天気に恵まれたということが一番大きいが、あまりにも素晴らしい時間だったので、日記に残しておこうと思う。

 今年は夏休みに仕事が入ってしまい、どこへも行かずに終わってしまった。
 とは言え、日々「外に出たら蒸発するんじゃないか」というくらい暑かったし、どうせお盆は迎え火や送り火を焚いたりしなければならないので、元より出かける予定も立てていなかった。

 それでもやはり、「夏休みにはちょっとした旅に出る」という刷り込みのようなものがあるので何処かへ行きたい。
 ただし時間がないしお金も厳しいので、手軽に、そこそこ楽しめて、一泊とかそれくらいで行けるところで非日常的なところが良いな……などと都合の良いことを思っていた。そして思っていたまま台風が来たり消費税率改訂のために休みが取れなかったりで、季節はついに秋へと突入してしまった。

 

 

湿原や高原、または野山の匂い

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 私は湿原や高原が好きだ。というか、広々した周囲をぐるっと見渡せて、特に大きな起伏もない場所を淡々と静かに歩き続けるのが好きなのだ。
 そこに漂う野山の匂いも大好き。春の蒸れた土のような匂いも、夏の苦いほど生命力に満ちた匂いも良いけれど、秋になると野山が発する「何かを煮詰めたような甘い匂い」がたまらなく好きだった。

 夏が終わり、熟れて落ちた実や葉が土に還るときの、発酵した匂いなのだろうか? スパイスが効いたジャムのような、辺り一面に漂うそれを、肺いっぱいに満たすことに幸せを感じる。 

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▲これは以前行った栂池高原。10月中旬になるとかなり紅葉が進む。

 そんなわけで、秋になると長野の栂池高原へ通っていたのだが、諸般の事情でここ4~5年はご無沙汰していた。
 今年はどうしようかな。また栂池に行ってみようか。それとも別のところが良いかしら? 美ケ原高原とか、志賀高原とか? 上高地那須は何度か行っているから、行ったことのない場所が良いかな。そんなことをTwitterで呟いていたら、八島ヶ原湿原を勧めていただいたのだが、ここはなんと「満月の夜に湿原を歩く」という魅力的なイベントを開催しているらしく、どうせならその日を狙いたい。

 かくして振出しに戻り、なんだか天気も安定しないし、もう今年はどこへも行かずに終わるのかしらね……と諦めかけたところで、ふと目に入ったのが尾瀬のバスツアーだった。なんでも1万円ほどで行けて、帰りに温泉にも寄るらしい。
 しかし週末は雨だったような……。一縷の望みをかけて天気予報を見ると、晴れのち曇りに変わっているではないか。──というわけで、帰宅中の電車の中で即予約。人生初の尾瀬行きが決定した。

新宿よりバスで4時間ほど揺られ、尾瀬につく

 ネットで「尾瀬/日帰り」と検索すると、幾つかのバスツアーと新幹線ツアーが出てくる。個人で好き勝手に行くのが一番理想的だが、ペーパーすぎるため車は使えない。そしてこういう場所はバスの本数も少なくアクセスがし辛かったりするので、自由行動のできるツアーで行った方が効率的だったりする(尾瀬は他所に比べると路線バスの本数はある方です)。

 バスは1万円、新幹線は1万5,000円あたりが相場らしく、腰痛が酷いため新幹線で行きたかったが空席無し。よってバスを選んだ。
 バスはどのツアーにおいても、だいたい朝7時の集合で新宿から出発し、練馬を過ぎたあたりで高速に乗って、尾瀬を目指す。
 現地の滞在時間はツアーによりけりで、3.5時間程度のものもあれば、たっぷり6時間取るものもある。尾瀬スペシャリストが案内してくれるガイドツアーもあった。いずれも舞茸弁当をオプションで付けることができ、帰りに温泉に寄るというのが定番コースのようだ。
 今回は黙々と歩きたかったのでガイド無しのものを選択し、滞在時間も間をとって4.5時間のツアーを選んだ(というか、前日で空席があるのがこのツアーくらいだった)。

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 翌日朝4時に起き、新宿へ向かった。この日東京は快晴、雲一つない青空だが、尾瀬はどうだろう?
 集合場所で旅行会社からバウチャーを貰い、離れたところに停車している指定のバスを探した。ドライバーがぎょっとするような暴言を吐く人だったので一抹の不安を抱えつつ……まあ、窓際の席だし、晴れたし、と己を鼓舞して、音楽などを聴きながら車窓から見える景色を楽しみ、気持ちを旅路へ集中させる。

 さて、このエントリを読んで「バスツアーで尾瀬に行きたいな♡」と思って下さる方がいらしたときのために書いておくと、正直言ってバスは快適ではない。
 なんと言っても、座席が狭い。だいたいどのツアーもミニバス(マイクロよりやや大きい程度)なので、頭上の棚も狭く、リュックを乗せられない場合がある。そうなると、リュックを膝に乗せたまま4時間近くじっとしていなければならず、これがかなりきつかった。
 渋滞に引っかからなければ3時間ちょいで着くが、往々にして渋滞は発生する。途中で15分ほどサービスエリアに寄りはするが、私のような腰痛持ちには焼け石に水である。途中でリュックを乗せている膝辺りも痺れてくる。

 とは言え安価だし、「座っていれば目的地に着く」というのは心強い。その辺を天秤にかけてよく考えられたし……と思う。ちなみに私は、快適ではないがリピしてもいいかな? くらいにはアリでした。いずれにせよ、腰痛が治ったら。 

そして尾瀬を歩く

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 そんなこんなで尾瀬国立公園に到着。
 舞茸弁当を受け取り、空を仰ぐと見事な秋晴れが広がっていた。寒いとまではいかないけれど、東京に比べるとかなり涼しい。渋滞で到着が大幅に遅れたことにより、散策時間が延長となる。プランでは4.5時間ということだったが、切りよい時間を集合時間に設定したところ、5時間近く散策できることになったのだ。ありがたや。

 さて、尾瀬というと湿原に板が渡してあって、だだっ広いそこを歩くイメージを浮かべられると思う。よってバスから降りたら、ほどなくしてあの景色が広がっていると思う方もいるかもしれないが──というか私がそうだったのだが、あの景色にたどり着くまでに1時間ほど歩かなくてはいけない。しかも所々、結構急な山道となっている。

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▲鳩待峠休憩所。ツアーはだいたい、ここから出発して、ここに戻ってくる。

 多くのバスツアーは、まず「鳩待峠」というところに着く。そこから「山ノ鼻」というところを過ぎ、やっと「尾瀬ヶ原」というあの景色が始まるところに出る。なのでそこまで行かなければならない。
 この日は明け方まで雨が降っていたそうで、足元が滑りやすくなっていた。
 ある程度お年を召した方でも歩けるように道はできているが、それでも気を付けて歩かないと危ない。往路はそういった道を、ひたすら下って行く。

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▲傾斜が緩やかなところもあるが、雨後はとても滑りやすい。

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▲こういうところも木が濡れていると滑りやすい。

 普段運動していない身としては、覚束ない歩き方になり余計疲れる。しかし「まだあの景色に辿りつかないのか~」という気持ちになることもなく、この山歩きを大いに楽しむことができた。
 そうなのだ。素晴らしく楽しかった。なぜなら、ずっと「あの匂い」がするから。
 あの、何か甘いものを煮詰めている最中のような、たまらなくいい香りがあたりを満たしていたからだ。

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 良い香りを存分に肺に入れ、歩き続けること約1時間。「山ノ鼻ビジターセンター」に着く。ここはビジターセンターがあるだけでなくキャンプ地にもなっており、自炊場もある。ちょうどお昼時だったので、舞茸弁当を食べた。

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▲休憩ポイントである「山ノ鼻」。手前の建物がビジターセンター。 

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▲少し寄ってしまったが、名物・舞茸弁当。舞茸ぎっしり(ほんとに)。お値段1,000円也。

 さあ、いよいよここから湿原に入る。尾瀬らしい尾瀬の風景がはじまるのだ。

 音楽を聴きながら山をのぞみ、泣く という楽しみ

 尾瀬はここからの展開が早い。「山ノ鼻」からちょっと歩いただけで、いきなりポスターなどでよく見る「尾瀬」が出現する。おおー! これだよ、これ! ここを歩きたかったんだよ~‼ とテンションが爆上がりしてしまう。

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 9月下旬から草紅葉が見ごろを迎えるため、週末の尾瀬は大混雑……と聞いていたのだが、それほどでもなく、悠々と自分のペースで歩けるのがありがたい。どこを見ても絵になるため、何度も立ち止まってはぐるりと周囲を見渡してしまうのを止められないのだ。

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 あまりの美しさにひっくり返りそうになる。空が底抜けに青く、水の中も底抜けに深い群青だ。湿原になったからかジャムのような甘い香りはしなくなったけれど、それでも良い香りが絶え間なく漂っている。少し冷たい風も良い。

 尾瀬ヶ原を歩いていると、トイレを備えた大きな休憩所以外にも、眺めの良い場所にベンチが設えられている。そこに腰掛けてお茶を飲んだり、甘いものなどエネルギーを補給できるものを食べて休むのは最高だった。

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▲こんな感じの景色を見ながら、ベンチに座ってお茶を飲んだりできます。

 今でもひとつ引っかかっていることがある。このベンチで「コーヒーを飲みたい」と言って火を起こそうとしていたハイカーの存在だ。
 私よりずっと年上の3人組で、そのうちの1人が「せっかく尾瀬に来たんだから何かやりたい」と言って火を起こそうとしていた。他の2人は気まずくならない程度に止めようとしていたが、その人は「大丈夫、大丈夫」と言って強引に準備を始めてしまった。
 私は尾瀬のルールに詳しくないので、ここで火を起こしていいのか悪いのか分からなかった。でも、炊事場のあるような大きな休憩場所ならさておき、ここで万一火事になったらどうするのだろうか? カップの底に余ったコーヒーを、まさか湿原に捨てたりしないよね? と、モヤっとしてしまった……。
 結局ひと言物申せる知識がないので、黙ってそこを去ってしまったのだけれど、これは尾瀬的にOKなのかなあ。OKなのであれば良いのだけれど……。
 まあ、こんなに美しい場所に来てまでモヤモヤするのはもったいないから歩を進める。進めた先のメインの木道から少し逸れたところに、白樺がひっそりと生えた場所があった。背の高い枯草に隠れ、良い感じにベンチが置かれているのが見える。
 よし、誰も来なさそうだぞ。
 いそいそとiPodを準備し、音楽を再生した。手嶌葵の「旅人」が流れた瞬間、ぼろぼろと涙が溢れる。

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 最高だ。最高すぎる。何もかもが、なんて美しいのだろう? 誰もいないのをいいことに、何曲も聴いて、おいおい泣いた。
 そうなのだ。私は静かなところで好きな音楽を聴きたかったのだ。普段家以外では、人が多くて雑多な場所でしか音楽が聴けていなかったから。
 そんなこんなでぼろ泣きしていると、ガイドを伴った一群がやってきたので慌てて涙を拭いて鼻をかんだ。どうやらここは、夏になるとミズバショウが見事らしい。へえ。

 本来であれば「竜宮十字路」まで行けたかもしれないが、思いのほか佇んでしまったのでそろそろ折り返す。6時間コースならのんびり歩いて「ヨッピ吊橋」も可能だろう。次回はそうしようかな、などと思いながら来た道を逆に戻る。

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 やはりどう見ても美しくて、立ち去りがたいなあなんて思いながら、ナウシカの「鳥の人」を聴きつつ、金色の野を歩いた。
 歩いていると、遠くに見える山や水面に映る雲ばかり見てしまうけれど、この時期は草紅葉のピーク。少し傾いてきた西日を浴びて、さらに輝くそれは見事だった。本当に本当に立ち去りがたくて、何度も何度も振り返ったり見渡したりしては、尾瀬との別れを惜しみまくった。

 普段運動らしいことを全くしていないので、数時間ぶっ通しで歩いた足は軽々とは動かない。それでも「行きはよいよい帰りは怖い」ということもなく、「山ノ鼻」から「鳩待峠」への道のりも、辺りの景色を楽しみながら登ることができた。でもね、毛虫がいたの……。だから次に来るときは、もっと寒くなってからにしようと思います。

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 【注意点】
 尾瀬は木を敷いた道の上を歩いて散策するのだけれど、ところにより木の傷んでいる箇所がある。手入れは良くされており、修復もまめに行われているようだけれど、下のような場所もあるので歩くときは十分ご注意を。
 また、お手洗いはチップ制です。お金を入れないとトイレに入れないということはないけれど、施設を保持するためにも100円玉を用意して訪れましょう。

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温泉に入り、のんびり帰る

 散策を終えてバスに戻り、温泉を目指す。
 ツアーを申し込んだときは「帰りに立ち寄り湯か。一粒で二度おいしいなあ」なんて思っていたけれど、実際に参加して思ったのは、尾瀬ツアーにおける温泉はレジャーというよりも「散策の締め」だった。
 到着したときは肌寒さすら感じたけれど、歩いているうちにTシャツ1枚で良いんじゃないかというくらい暑くなるため、かなり汗をかく。このまま帰るよりも、ひと風呂浴びて帰りたいと思う人は多いはずだ。実際入浴後は清々しく、気持ちよく帰ることができた。※そんなわけで、着替えを持って行った方が良いです。尾瀬散策中はバスの中に置いて行けばいいし。

 温泉自体はスーパー銭湯のような造りで、お湯もこれといって特徴はなかったが、露天もあったし休憩所で横になることもできる。時間は1時間しかないので慌ただしいが、そのまま帰るよりもさっぱりしたのでありがたかった。
 ただし、これ以上寒くなると逆に湯冷めする可能性もあるため、今の時期くらいまでがベストかなあとも思う。

 ともあれ、直感で決めて大当たりだった尾瀬。1万円でこれは癖になるかもしれない。台風の影響で倒木もあったようだが、大きな被害は出ておらず、紅葉が見ごろとなっているという。
 来年もし再訪することになったなら、毛虫もいなくなっているであろう10月の終わりに出向いてみようかなと思う尾瀬なのでした。

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