雨がくる 虹が立つ

ひねもすのたりのたり哉

3つの声と100年を旅する:トライアローグ展 行ってきた(横浜美術館)

 

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 横浜美術館で11月14日から始まった「トライアローグ:横浜美術館愛知県美術館富山県美術館 20世紀西洋美術コレクション」

 新型コロナウイルスによって諸々今までとは異なる仕組みにせざるを得なくなっている現在、美術界も然りであり、海外との作品の貸借が難しくなっている中で「しっかりしたコレクションのある美術館」の強さが注目されている。

 まあ、いっぱい作品を持っていればあの手この手で展覧会を作ることができるという強みはあるけれど、そういう意味じゃなくて、「コレクションの方針」がしっかりしているとでも言うのかしら。そういうところは体幹が鍛えられているような感じがするのだ。柔軟であり、どっしりとしているというか。

 そんな体幹の鍛えられた3館が集まって、20世紀西洋美術について語り合うというのがこのトライアローグ展。一人語りでもなく、対話でもなく、鼎談。
 「3」という数字は昔から「文殊の知恵」だったり「頑丈な矢」だったり、はたまた「にぎやか(かしましい)」だったりと、とにかくミラクルなパワーを発揮するときに使われる。ならば展覧会ではどうかな? と期待して行ったところ、時に錦上添花、時にポケモンバトルといった具合の、それぞれの個性と推しを惜しみなく持ち寄った立体的で内容の濃い20世紀ができあがっていた。
(※本エントリの写真は美術館の許可を得て撮影したものです)

 なぜこの組み合わせ?

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富山県美術館にはまだ行ったことがないので行きたい。行った人の話によるとべらぼうに良いらしいので……。

 なぜ横浜美術館愛知県美術館富山県美術館という組み合わせなのかというと、それぞれが20世紀美術を中心とした国際性をテーマに掲げて美術を収集してきたというところにある。

 横浜美術館で言えば、横浜港が開港した1859年以降の美術品を集めるという方針を持っている。愛知県美術館は、愛知県文化会館美術館が持っていたコレクションを引き継いでいるというのもあるのが、名古屋市美術館が地域密着型の収集を行っているのに対して、より国際性の高い収集を行ってきたという歴史がある。

 そして富山県美術館。ここがちょっと面白くて、富山県美術館自体は2017年開館の新しい美術館なのだけれど、ここはその前身である富山県立近代美術館(1981年開館)の収蔵品を引き継いでおり、その収蔵品はあの瀧口修造の指示を仰いだものなのだそうだ。
 なんでも美術館を建てましょうということになったとき、当時の富山県知事が地元の美術批評家である瀧口のもとにアドバイスを請いに行ったとか。日本で初めてミロの作品を購入したり(今回展示されています)、日本の公立美術館で初めてウォーホル作品を購入したりとさすが先見の明があるというか、かなり攻めている。そういうエピソードを知ってから観ると、また一層興味が増してくる。こういった個性が会場にひしめいているのが楽しい。

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中央の《パイプを吸う男》が富山県美術館が日本で最初に購入したミロの作品。ちなみに左はジュアン・ミロ《花と蝶》横浜美術館、右は《絵画》愛知県美術館

年表とあわせて観る・考える

 展示の感想に入る前に、会場の中にある「関連年表」について触れたい。

 会場に設えられている関連年表には「年代」、「本展の章構成」、「(主な)作家生没年」、「時事年表」、「世界における美術の動向」、そして「日本における美術館設立と西洋美術の収集」がまとめられている。

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 正直この年表の存在も、本展の大きな見どころのひとつと言えるよなあ……と思ったくらい20世紀がぎゅっと凝縮されていてわかりやすかった。そしてピカソがいかに長生きだったかもよくわかった(笑)。

 今回登場する横浜、愛知、富山の3館は、1980年代から90年初頭にかけての、いわゆる「公立美術館建設ラッシュ」時に誕生した美術館だ。

 西洋美術の収集は1878年から林忠正がフランス近代絵画の収集を始めており、そこから約20年後に大原美術館を設立した大原孫三郎、そして国立西洋美術館でおなじみの松方幸次郎が参入。この頃世界の美術シーンではフォーヴィスムキュビスムが生まれたり、ダダイスムが起こったのちシュルレアリスムに分裂したり、バウハウスが設立されたりと忙しい。
 で、朝鮮戦争が起こる1950年あたりから日本では近代美術館がどんどん登場し(神奈川県立近代美術館東京国立近代美術館ブリヂストン美術館など)、海外の美術界でもグッゲンハイム美術館ができたり、ポップアートが隆盛を誇ったりと再び忙しくなる。そんなふうに時代が動き続けるさなかに、上に述べたように3館は生まれた。

 この年表をざっくり頭の中に入れて鑑賞すると、20世紀のアートシーンがいかに激動の時代であったかがわかるし、これだけ美術館が建設されているなかで初期コレクションを築くのは大変だったろうな……と(余計なお世話は承知の上で)思ったりした。

 他と被らない方針で、且つ優れた作品を(予算の範囲内で)手に入れなければならない。逆に捉えれば、この時しっかり地に足をつけて成長していったからこそ、今のコレクションがあるとも言える。

 自分の好きな美術館は、どうやってコレクションを形成していったのだろう──そういった視点も、この展覧会をきっかけに持つことができると思う。

3館ならではの楽しみ方

本展の見どころとして公式が挙げているのは以下の3点。

  1. 各館が誇る珠玉の20世紀西洋美術コレクションが一堂に!
  2. トライアローグって?
  3. 3館共同企画ならではの視点

 1はピカソやウォーホルなど20世紀を代表する誰もが知っている巨匠をはじめ、約60の作家による高い水準の作品を通じて20世紀西洋美術の流れを一望しよう! そして日本の公立美術館の底力を、収集の歴史的経緯を感じよう! という、まさにタイトル通りの見方になるのだが、この「日本の公立美術館の底力」がすごい。

 これは3の「共同企画ならでは」にも通じるのだけれど、時に共闘して鑑賞者に進化の過程を、そして時にライバルの如き熱い展開を我々に見せるのだが、テーマに合わせてぶつけてくる名品の数々、プライドをかけて収蔵品を披露する姿は、紛うことなきポケモンバトルなのである。

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ルーチョ・フォンタナの赤と黒を並べられるのも共同企画ならでは。《空間概念》富山県美術館(手前)、《空間概念》愛知県美術館(奥)

 美術が好きな人だったら「これにこれをぶつけてくるのか」、と思わず歓喜してしまう並びもあるでしょう。あまり詳しくないという人にも、じゃあ今日は少しでも知っていってよという気軽さで、たった3つの作品でもって変遷の要点を教えてくれたりする。
 冒頭にも書いたけれど、こういうことができるのは、ひとえに柔軟でありどっしりと構えていられる柱があるからこそだ。
 そこで繰り広げられる「トライアローグ」
 3者による会談(鼎談)を意味するトライアローグは、この展覧会が練られた時間も意味している。
 実は本展、コロナ禍を受けて企画されたものではなく、もっと前から決まっていたのだそう。そりゃそうだよね。穴埋めで決めた企画とは思えないほどの作品が揃っているし、内容も濃い。

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とにかく最後まで内容の濃い展示が続く

 各館の学芸員が長い時間をかけて話し合いを重ねることで、それぞれのコレクションを有機的に接続し、欧米の20世紀美術を概観するためのラインナップを紡ぎあげたという、まさに鼎談がベースになっている。
 勝手な想像だけど、出品されているものを観ると(構成は大変だっただろうけれどそれ以上に)会議はさぞや盛り上がっただろうなあ……と思ってしまった。「それを出すならうちのこれを並べましょう!」とか、「流れからして関連するし、ここはお互いこれ、いっときませんか……?」みたいなトライアローグがあったりして、と妄想してはニヤニヤしてしまう。

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この2点は絶対そういうやり取りがあったと思うんですが、どうかな?? リチャード・ハミルトン 《リリース》横浜美術館(左)、《スウィンジング・ロンドンⅢ》富山県美術館(右)

 

 さて、本展はタイトルにちなんで「3」という数字をキーワードにして「3章立て」、「100年間を30年区切り」で組み立てられており、第1章 1900s─ アートの地殻変動、第2章 1930s― アートの磁場転換、第3章1960s─ アートの多元化と、きり良くまとめられていて、私のように美術史がごっちゃになってしまう人もとても理解しやすいつくりになっている。ここ、とても大事で、20世紀のアートシーンっていろいろあって、ごっちゃになってしまうなという人こそ見てほしい。本当に頭の中が整理整頓されるので。

  閑話休題

「アートの地殻変動と題された第1章では、前時代の印象主義、ポスト印象主義の実験精神を受け継いだ芸術家たちが「イズム(主義)」のもとでさらに新しい表現を模索する様子を見せる。ちょっと話はズレるけれど、この前時代である印象主義の時代のフランスの動きと日本の動きを三菱一号館美術館「ルドンとロートレック展」で観ておくと、歴史を地続きで感じられて面白い。

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いずれもパブロ・ピカソ 左から《肘かけ椅子で眠る女》横浜美術館、《肘かけ椅子の女》富山県美術館、《青い肩かけの女》愛知県美術館

 この章の主役はやっぱりパブロ・ピカソなのだけれど、近代絵画の収集の中でやはりピカソは別格というか軸になるというか、3館のコレクションの顔になっているだけあって、彼が20世紀の美術に与えた影響はとてつもなかったのだなというのが開始早々うかがえる。
 もちろんキュビスムの解説だけで終わり、なんてことはない。1900年からの30年間のうち、ピカソ、ブラック、レジェ、マティスモディリアーニムンクをはじめ、クレー、シャガール、そんでもってバルテュスにも言及する。とにかく前の時代に一世を風靡した印象派を刷新する勢いで、様々な表現が激しく躍動しているのがわかる。

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パウル・クレーもずらり。手前は《蛾の踊り》愛知県美術館

 展示を観ると実感できるのだが、すでに第1章だけでどういう鑑賞の仕方をしても得るものがある濃い内容になっていることに気づく。──のだが、そこに更にもうひとつ重要なメッセージが差し込まれているのも見逃せない。

 20世紀の美術界を振り返るととても女性が少なく、白人男性が中心になっているのだけれど、本展ではそこに21世紀の視線を送り、女性作家の存在にスポットを当てている。

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ハンス(ジャン)・アルプのコーナー。作品はアルプの名前で残っているけれど、彼は妻のゾフィーと共同制作をすることが多かったそう。そういったところにもしっかり言及している。

 これは2018年にヌード展を開催した横浜美術館らしい視線だなと思った。また、第3章に出てくる男性ばかりがモチーフになっている作品がずらりと並ぶ部屋も、ヌード展での「女性を作家ではなくミューズとしたり、女性ばかりをモチーフとするのはどうなのだろう」と斬り込んだ部屋を彷彿とさせる。こうしたジェンダーにおける歴史も、20世紀の前半と後半ではだいぶ違っているのだろう。

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フランシス・ベーコンなどの作品が並ぶ部屋。モチーフはすべて男性。

 第2章は「アートの磁場転換」ということで、第二次大戦を機にヨーロッパに住む多くの芸術家たちがアメリカに亡命し、主なアートの動きがヨーロッパからアメリカに転じた様子を、そして第1章の終わりで触れたダダイスムが、両大戦間のうちにヨーロッパで一大ムーブメントを起こしたシュルレアリスムへと変貌してく様子を導入として展開する。

 この章で扱う期間は、第二次大戦がはじまる前から終わったその後までを含んでおり、通常の第二次世界大戦の前後で区切る方式とは違うところも興味深かった。

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いずれもマックス・エルンスト。左より《ポーランドの騎士》愛知県美術館、《少女が見た湖の夢》横浜美術館、《森と太陽》富山県美術館

 ここでフィーチャーされる作家はマックス・エルンストマン・レイ、ジュアン・ミロ、サルバドール・ダリルネ・マグリットポール・デルヴォー、ジョセフ・コーネル……以外にも、ジャコメッティやらポロックまでいるという豪華さ。どれもピンで展覧会を回せるスターばかり。

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いずれもマン・レイによる作品。《ガラスの涙》横浜美術館(右上)、《メレット・オッペンハイム(ソラリゼーション)》(左下)

 面白かったのがマン・レイとメレット・オッペンハイムの流れ。オッペンハイムをモデルにしたマン・レイによる写真の後で、メレット・オッペンハイムの作品《りす》が対で並ぶ。それぞれ横浜美術館富山県美術館の収蔵品。上でも述べたけれど、こういったある種のユーモアというか遊びを見ることができるのも共同企画だからこそ。

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メレット・オッペンハイム《りす》横浜美術館富山県美術館 奥の作品はマン・レイの《贈物》

 あとジョセフ・コーネルと言えばDIC川村記念美術館のイメージが強かったけれど、他にも良いものを持っている館があるのを知ることができた。
 しかしこうして通しで観ていくと、3館が揃うと強い分野はより強く、ある作家の作品を他の2館が所蔵していなくてももう1つの館が持っていたりと補い合えるのが良い。きっといつか「この作家なら当館にありますよ」という追加戦士が現れて、今度は座談が展開される日がくるんじゃないかな、なんて思ったり。

 

 さあ、いよいよ20世紀も後半戦。1960年代から始まる第3章は「アートの多元化」と題し、いよいよポップアートが登場する。一方でシンプルな色や形で視覚芸術を表現するミニマルアートや、コンセプチュアルアートなどが台頭。従来の「いかにも」な形式に囚われない芸術の群雄割拠が始まり、もはや「〇〇派の時代」などと括れなくなる多様な様子を見せる。
 とは言え、やっぱりここはウォーホルの存在が大きいのかなというか、時代を象徴する作家であるように思う。

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あまりにも有名なアンディ・ウォーホルの《マリリン》富山県美術館。ウォーホルはその画業(?)の中で、肖像画を一番多く制作したそうな。

 ここではクリスチャン・ボルタンスキーや、ゲルハルト・リヒターといった今なお活躍する大御所の作品も拝めるのだが、今や落札額が大きなニュースになるほどの作家の作品を、まだ美術史的にもマーケット的にも価値がなかなかつかないときに買えるかどうかという度胸も、コレクション形成の重要な点だと思う。

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クリスチャン・ボルタンスキー《シャス高校の祭壇》横浜美術館(手前)、ジョージ・シーガル《ロバート&エセル・スカルの肖像》愛知県美術館(奥)

 青田買いというか目が利くというか、今やリヒターなんて目ん玉飛び出るくらいの値段ですけど、「きっとこいつは大成する……!」と信じて先行投資できるかどうか。時には大器が晩成すぎることもあるようだけれど、それでも限られた予算の中で自館のコンセプトに基づきながら、如何に将来的にも充実した収蔵品を増やしていくかに挑戦する姿勢はとても興味深かった。こうやって未来は今も作られているのだ。

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ゲルハルト・リヒターの超大作《オランジェリー》富山県美術館

 

 さて、展覧会の最後はジョセフ・コスースの《哲学者の誤り #2 よきものとやましくない良心》で締めくくられている。
 ニーチェの「よきものとやましくない良心」を石板にプリントした作品なのだが、その中にある「(前略)良きものはすべて、かつては新しいもの、したがって常ならぬもの、反習俗的なもの、非道徳的なものであったし、また、幸運な発明者の心のなかを蛆虫のようにむしばむものであったからである」という言葉に、「今我々が革命的な傑作だと称賛する作品も、当時はボロクソにボコされたんだよな~」と改めて思った。逆に言えば、今ボロクソにぶっ叩かれている作品が100年後に評価されるということもあるのだ(されないことも、もちろんある)。

 

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ポスターに使われているルネ・マグリットの作品《王様の美術館》横浜美術館

 こうしてみると、「初来日」や「奇跡の来日」、「〇〇年ぶりの来日」など、ちょっと「来日」に踊らされ過ぎなんじゃあないか? と思ってしまうほど、今まで「来日」というフィルター超しに作品を観てしまっていたところは大いにあるなと反省した。

 いや、もちろん海を越えてやってくる名品は見ごたえのあるものが多いし、なかなか現地へ行けない分、向こうから来てくれるのは(というか呼ぶんだけど)本当にありがたい。けれど、そこにばかり価値を見出し、目の前の名品がかすんでしまうのはとてももったいないことだ。

 多くの方がご存じのように、横浜美術館は常設展も充実している。トライアローグを成したコレクション展から、その延長のモノローグである自館のコレクション展「ヨコハマ・ポリフォニー:1910年代から60年代の横浜と美術」も「一方その頃、横浜では」という物語性に富んでいる。

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最近注目の新版画コーナーも! みんな大好き川瀬巴水は東京十二題より《大根がし》(左)と《雪に暮るる寺島村》(右)が。

 横浜美術館は本展を区切りとして、2年半の長期休館に入る。バリアフリーの見直しなど、より訪れやすい施設にパワーアップするための休館だそう。寂しいけれど仕方ない。

 しばしのお別れの前に、もう一度丁寧に収集された愛すべきコレクションたちに会っておきたいなと思うほど、充実の内容だったのでした。

 

yokohama.art.museum